キルケが言うことには

Yu Akahoshi.ゼロテラの代表社員/脚本家・演出家

末安陸一人芝居企画『女装に目覚めた青年を覗き観る。』終演のご挨拶+memo

こんにちは。

赤星です。

ブログではお久しぶり

 

 

先日、無事

末安陸一人芝居企画『女装に目覚めた青年を覗き観る。』

終演しました。

 

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ご来場頂いた皆様

Twitterで応援してくださった皆様

誠にありがとうございました。

 

生まれて初めて一人芝居、生まれて初めての劇場以外での公演(大学サークルの頃に大学の教室でやったことはあるけど…)色々初めてだらけの公演でした。

自分は2012年に劇団を旗揚げして、脚本・演出自体は2011年から始めたのですが、実は最初からひたすら今までずっとそれなりに大人数でのエンタメ芝居をやり続けてました。飽きることなくずーっと。ずーっと大人数のハチャメチャなエンタメ作ってた。

この5~6年、ひたすらずーっとレティクル東京座(※赤星が主宰をやってる白塗りエンタメ劇団)しかやってなかったんですよね。

 

何でかっていうと、やっぱりひたすらエンタメ芝居がやりたくて、だから自分が一番チカラの発揮できるホーム(自劇団)を作ってひたすらにやってたから。

あと実はつい最近まで大学に通い続けてて(ウッッッ頭ガッッ

レティクルやって、大学行って、レティクルやって…っていうループで数年間過ごしてて。それが自分のサイクルだったんですけど、こないだ大学やっと卒業して(ウッッッッ頭ガッッッッ

わりと時間にぽっかり余裕出来て、レティクルは年に1~2回しかやらないし、空いてる時間にじゃあ何するかなってなった時に、やっぱ何かしら演劇やってたいなと思って。

 

そうなった時に、自分が一番やりたかった大人数のエンタメ芝居は、レティクル東京座っていうそれなりに安定した土壌で伸び伸びと好きに出来るぐらいにはなってたんですね。で、レティクル東京座って少し特殊で、登場人物が全員白塗りでやるエンタメで。歌ったり踊ったり。何じゃそりゃって感じの劇団で、広報戦略的にキャッチコピーみたく「唯一無二!」と謳わせてて、此処に行けば必ずこういった芝居が観れるぞ。レティクル東京座がやってることはレティクル東京座にしか出来ないぞ。っていうのを押し出してて。

 

詳しくはYouTubeの動画とか


レティクル東京座『アイドル♂怪盗レオノワール』★OP


レティクル東京座『アイドル♂怪盗レオノワール』★第一幕場転

 

劇団公式サイトを見てね!!!(ステマ

http://reticletkz.jp/

 

 

まあそんな感じに細々頑張ってるのですが、そうやっているうちに、自分がそういった特殊?な芝居しかやってこなかったことに気付いて。きっと誰もが当たり前にこなしてきたルートを、全然通ってないことに気付いて。

自分はレティクル東京座でやっていくと思ってるけど、それしかやらないというのも、作家・演出家として勿体ない。まだ若いのに。若いっつってんだろ

いつしかぼんやり、レティクル東京座ではやらないことを、やってみたいなあ。って気持ちを抱いてました。

 

そんなある日。

俳優の末安陸くん(https://twitter.com/riku_bd)がSNSで、何か色々あってフザけて女物の長袖のワンピース?を着た写真をアップしたのです。まあワンピースっていってもその写真は下まで映ってなくて、上半身のアップだったのでスカート部分は映ってなかったんですが。でもその上半身だけでパッと女物だと分かる、上質で上品な服だった。 しかもそれは、女装として着たんじゃなくて(多分)本当に素のまま、ただそこにワンピースがあったから着ましたみたいな、ナチュラルな写真だった。

その写真が本当に本当にとても良くて、素晴らしくて、ガーーッと自分の中のインスピレーションが掻き立てられました。

私もその場のノリでフザけて「女装芝居やりましょう!」とコメントした。

でもどんどん芝居のストーリーやイメージがわいて、次の日、公演の企画書を書いてまとめて末安君に送った。 お互いのスケジュールをすり合わせて、小屋を取って、契約して、そして表に情報を出した。あっという間だったね。

 

ちょっと話を寄り道。

私が末安君と出会ったのは、2015年に上演したレティクル東京座の本公演『幕末緞帳イコノクラッシュ!』の出演者募集オーディション。

お互い認識したのはそこだけど、厳密に言えばちょっと前に一方通行で認識?してた。

『幕末緞帳イコノクラッシュ!』の前に上演したレティクル東京座の本公演『學園使徒ノクト』を末安君は観劇していた。私は毎ステージ、客席の後ろから公演を観てダメ出しを書いてるのだけど、実はその時観劇していた末安君を認識していた(名前も顔も存在も当時は全く知らなかったけど)。末安君はその時、客席後方の下手側の席に座っていて、偶然にも居る場所が近くて、私は「なんか顔が良くてスタイルも良いイケメンが観に来てるなあ、きっと役者さんやろなぁ、」と思ってた。(余談だが、なんとなくモデルと役者の違いはパッと見て分かる、あんま具体的に説明出来ないけど。雰囲気かね)

そうこうしてるうちに次回公演のオーディションに彼が来て、出演が決定して、以降三作品ほど連続でレティクル東京座に出演してもらった。

 

皆ご存じかもしれないけど、彼はとても素敵な役者で、まず見た目がセクシー。(いきなり見た目の話ですまない)

整った顔をしている。私が一番彼の見た目で好きなところは、目の下のクマ。目の下にくっきりと暗い影があって、それがとてもセクシーだと思う(謎感性)。

目の下のクマと対照的に、瞳はとても澄んでいて綺麗。光が入って、きらきら輝く。

時々薄く開きがちな唇もいい。身体がとても薄い。横から見るとすごい。スマホ

手足も細く、しかし筋張っている。身体も薄いが筋肉の筋が至る所に綺麗に入っている。お腹もいいけど、何より背中の筋が綺麗だ。

ここまでひたすら見た目を褒めてしまったけど、彼は内面も素敵ですよ。そこまでパーソナリティなところにお互い踏み込んでないのでビジネス上でのことしか語れませんが。

彼はとても誠実で、真面目な人間。義理を大切にする。台詞の入りも早いし、演技の修正も早い。淡々と真面目に物事に取り組む。何より観客への感謝の気持ちをどんな時でも忘れない。

演出家と役者間の話をすると、よく赤星の要望に応えようとしてくれるし、且つ自分で考えて一本筋を通したプランを持って来てくれる。ぼんやり迷子になるタイプではなく、しっかりと着実に自分でよく物事を考え、突き詰めてくれるタイプ。一緒にやってて楽しいね。

 

道に戻る。

女装?の写真でインスピレーションを得てバーッと話が思い浮かび、あらすじを書いたんだけど、その時は「末安君はもし女装をするってなったら、こういう反応をするんじゃないかな…」と想像して書いた。(あらすじの内容は、普通の青年が女装に興味を持ち軽い気持ちで試したら、似合うと思ったのに似合わなくて、謎のプライド?自尊心?が傷つけられ、ムキになりのめり込んでいく…といったもの)

その時の想像は、あくまで「仮定」的な意味合いで、特に彼の過去とかは知らずに書いたんだけど、その後打ち合わせで、実はかつて過去に似たようなことがあったと知って、びっくりした。

その内容は、女装芝居の中で彼が長台詞でバーッと語ってくれてます。あれは末安君の実話を元にしてます。(劇中ではコスプレカフェだったけど、実際はミスコンだったらしい)

想像と過去が一致すると、気持ちいい。

 

 

公演内容の話。

『女装に目覚めた青年を覗き観る。』というタイトルの通り、女装芝居でした。

私は昔から本っっっ当に女装というものが大好きで、でもその女装は、男が完璧に女になりきるタイプの女装ではなくて(ウィッグとか被って完全に自分の『男』の部分を消して『女』になりきるタイプのものではなくて)男性が男性のまま女装しているのが好きだ。何言ってんだ?って感じだけど、シンプルに伝わってほしい。男性が女性の服を着ているのが好きなのかもしれない。当然似合わないんだけど、でもそれでいい。逆に似合わなければ似合わない方がいい。別に性癖じゃないんですけど。

何で好きなの?って聞かれてもわからない…。ただ本能で似合わない女装を求めている…。

 

この作品を書くにあたって、色々青年の気持ちや行動を想像しながら書いたのですが、本当に台本に違和感がないか?こういう時どう考える?こういう経験はある?何を思う?など分からないことが多かったので、末安君本人にも色々質問したし、あと男性劇団員の中三川君と雨宮さんにも色々質問しました。古俣さんは雨宮さんと系統が似てるだろうなって思って省いちゃったよ、ごめんね

 

作品の中でメイクをするくだりは、自分の高校生ぐらいの時を思いながら書きました。今、スマホやネットが流行った時代ではどうなってるのか分かりませんが、自分が高校生の頃はまだ今ほどネットがメインで台頭してきてはなくて(勿論流行ってはいたが今ほどでは。まだまだアナログなことが台頭していた。スマホは存在しておらずガラケー、パソコンは持ってる人は少なかった)

所謂女性がメイクを知る時、メイクに興味を持つ時、っていうのは、同世代の友人同士のなんとなくの流行り・共通意識だったりとか、年頃になった瞬間からの姉や母親からのレクチャーだったりとか、っていうのがきっかけになることが多いんじゃないでしょうか。その人のポジションにより一概には言えませんが。

自分の時のことを思うと、やはり同世代の友人がメイクをやり始めて、じゃあ自分もって感じだった気がします。今だと、もしかしたらネットで検索してやり始めるのかな?と思いますが、当時はメイクはネットで学ぶんじゃなくて、女性向けのファッション雑誌のコラムで学んだり、あとは友人同士の口コミとか…が主だった気がします。

自分も高校生の夏休みにメイクをめちゃくちゃ練習した覚えがあります。(学校には校則の関係でメイクしていけなかった)夏休みが集中してメイクの練習が出来る期間だったんですね。勉強に集中しろ

初めてのメイクは、劇中の末安君みたいに、何も上手くいかなかった覚えがあります。自分が不器用すぎたのもあります。全然上手く出来なくて、ボロ泣きしながらやってたのだけ強く覚えてます。

 

そうこうしながら覚えたメイクですが、メイクってのは時代と共にあっさりやり方とか流行りとか変わっていくものなので、自分のメイクは今の時代では古いなと思うし、やり方違うなと思うし。でもメイクや服装の流行りを追い求めるのは自分は10代の時がピークで(なんせやりたいことが無さ過ぎて大学行かないで原宿のショップ店員になりたいと思ってましたからね)

20代からは特に流行りを追おうと思わなくなってしまった。いや、演劇をやっているので、『流行り』というものは知識として吸収はしてるけど、それを自分に反映する欲がないというか。若干演劇観の話にもなるのですが、他人を仕立てるのが好きで、たぶん得意な方なんだけど、自分のことにはあまり頓着しないんですよね。余談ですが、だからなのか、私個人と、私の作品が、イコールに繋がらない人が多いらしいです。「えっこの人がこれ書いたの!?」みたいな風に言われることが多い。自分的には、ばりばりイコールだろーって思うけど。

 

話の内容的には、「俺って何?」みたいな感じのを端々に入れてたのですが、この「俺って何?」というか自我、というか自己、というか、っていうのは、実はレティクル東京座でも…というか赤星の創作物そのもので結構テーマにしてることで、自分が昔から一番興味があったのは「自分って何?」ってことだったので、それが色濃く出てるというか。

これは個人的な感覚とか感性の話なのですが、赤星は子供の頃から、鏡に映った自分を上手く「自分」と認識出来てなくて、どういう感覚かというと、目の前に映った肌色の皮を被ったこの顔、の奥に眼球や皮膚が収まってるじゃないですか。そういった顔や身体の奥底の皮膚、血管、内臓、骨…?とかを想像して、それらを覆っているこの肌色の皮膚、が作った自分の顔や身体。と思考が内(内臓とか)から外(皮膚の上とか)に戻ってきて、そうすると「自分」がこの「自分の顔」を所有?していることが、どこか客観的なものとしか見れなくて。主観的なものとして考えられなくて?

どうやらこの身体を自分が所有しているらしい。名前も貰っているらしい。育ってきた過去や経歴があるらしい。と、どんどん客観的な視点になっていく。って感じ。

昔ほどじゃないですけど、今もそんな感覚はあります。結果、「自分って何?」って問いは昔からぼんやり考えていて。哲学的な意味でも、感覚的な意味でも?

まあでも、そんな感覚を口に出すと変かなと思ってたし、普通に暮らしてたんですけど。今、大人になって、そういった外面とかコミュニティとか一切気にしなくてよくなって、(要は好きに一人で生きられるようになって)、子供の頃からの感覚や思考を掘り起こして、寄り添って、ゆったりと作品づくりに昇華していってる感じであります。

 

それとはまた違った感覚の話ですが

大学でやった勉強で、印象に残ってることのひとつに『カテゴライゼーションの暴力』って概念があって。

ざっと言うと、「ひとは白黒つけたがるけど、言葉や概念に縛られないという選択肢があってもいい。」的なやつで、ひとは生きてる限りあらゆる意味でカテゴライズされるし、カテゴリーに属さないといけない時とか多いけど、本当はそういった支配から逃れる選択肢があってもいいし、そういうのだって選べるんやで。的な概念。

まあ、その考えも矛盾を孕んでるけどね。カテゴライズされないという概念にカテゴライズされてるやん…的なね。突き詰めると、『虚無』こそが平和であり安寧なのでは?とかよく思うけど、『虚無』もカテゴライズだよね。まあ、そういった矛盾を置いといて、『カテゴライゼーションの暴力』から逃れるという概念は、赤星にとっては衝撃だったし、ええやん、と思ったのです。

 

今回の作品でも、そういうのは一貫して意識しましたね。

一般的な感覚、概念に自分が沿えていないのでは…?という揺らぎ。部屋に一人籠って思案する青年という構図。(会場は「ギャラリーしあん」という古民家だ!)

鏡。自己との対話。他者との繋がりを唯一浮かび上がらせるスマートフォン。部屋に裸で籠るという構図は子宮の中の胎児にも似ている。

余談ですが、部屋の窓は雨戸で閉ざされ、さらに本来透き通っているガラス窓は、新聞紙で塞ぎました。

 

気付いた人、居るかな?その新聞紙、実は全部、「逆さま」か「横向き」に貼ってあるんです。

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あっ…見てほしいのは後ろの窓の新聞紙ね。ちゃんと見てる??

 

劇中で色々なことが逆さまに、アベコベになるので、それの象徴です。あとは、横向き、平行線・並行線の気持ちだったり、未来だったり、の示唆的なね。上がりもしないし下がりもしない、変わらないままの青年の日常(本質)的な。

 

1時間30分の中に、色々詰めた作品でした。1時間30分の一人芝居ってすごいよ。普段レティクル東京座、30人ぐらいで1時間45分の作品やってるからね。

文字数の違いもえげつなかったですよ。今作、台本は約1万2000文字で、音も照明も特に変わらない。レティクル東京座の前回公演『アイドル♂怪盗レオノワール』は台本は約4万8000文字、音楽とか照明とかバンバン入ってくる。

これで15分しか上演時間違わない。ね、えげつない。末安陸は本当にすごい……お疲れ様…(このタイミング)

 

 

なんか色々長々語っちゃったけど、今作はDVD撮影はしてません。DVDにはなりません。写真は撮ったけど。また何処かでまとめて公開するかな。

あの公演は、あの三日間だけの、我々とあなただけの秘密です。あとはもう我々の思い出に残るだけ…。あなたの心の中で、頭の中で、さらに美しい公演になるといいな。

 

さいごに。

末安陸くん、本当にありがとう!楽しい三週間だったね!(稽古は全8回)

一緒に上演出来て楽しかったよ。本当に楽しかった。

また作品づくり一緒にしましょうね。

 

改めまして、ご観劇して頂いた皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

今後もまた、レティクル東京座をやりつつ、合間で少人数のこじんまりとした公演をやりたいなーと思ってます。近すぎる距離感で、楽しいことやりたいね。

 

 

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末安陸、美しかったなあ。

 

 

 

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美しかったね……口紅(鳴き声)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さあ、部屋の外に出よう。

 

 

 

 

(撮影:飯田奈海様)