キルケが言うことには

Yu Akahoshi.ゼロテラの代表社員/脚本家・演出家

ゼロテラ /001『クラド』終演ブログ【前編】

こんにちは。

ゼロテラの赤星ユウです。

 

五億年ぶりにブログなるものを更新します。

 

まずは、ゼロテラ /001『クラド』

2022年9月28日(水)~10月2日(日)@六行会ホール

キャストの誰一人欠けることなく、無事最後まで駆け抜け、終演いたしました。

ご来場いただいた皆様、応援していただいた皆様、関係者の皆様、本当に本当にありがとうございました!

https://zeroterra.jp/crud/

 

五億年前、それはもう色々とありました。

多分このブログを読んでくださってる方は、五億年前の赤星を知っている方と、五億年前の赤星を知らない方と半々・もしくは後者の方が多いかも…って感じだと思うので、今日は『クラド』が生まれるに至ったまで、また『クラド』の内側の細かいことというよりは外側のふわっとしたオモイ…なぞをつらつら、語っていこうと思います。

 

書き終わってから気付きましたが、わりととても重い話をしていると思います。

精神衛生上、ガツンと来たくない方は読まないことをオススメします…ぴえん…。

あと後半は『クラド』が現在のクラドの形になるまで、をパソコンに残存していたファイルを元にさかのぼっています。こちらも別の方向でカオスすぎるので、今のクラドのイメージを崩したくない!!って方は、読まないことをオススメします…ぱおん…。

 

 

----------キリトリ----------

 

まず五億年前、赤星ユウはゼロテラの赤星ではなく、レティクル東京座の赤星でした。

レティクル東京座というのは赤星が2012年~2021年まで主宰・脚本・演出をやっていたエンタメ劇団で、人の顔を白く塗ったりしながら(?)唯一無二と持て囃された(?)大人数ワチャワチャ・キメキメ演劇を作っていたわけです(??)

その中で、2018年に上演した『氷雨丸 -常花の青年遊廓-』という作品で千葉瑞己さん【今作のニック】と、2019年に上演した『電脳演形キャステット』という作品で鈴木遥太さん【今作のテネシー】と出逢ったんですヌェ……(感慨深い)

参照⇒

youtu.be

 

顔を白く塗っていた時代の千葉瑞己さん(2018年『氷雨丸 -常花の青年遊廓-』より、チョウジという村人の役)

 

顔を白く塗っていた時代の鈴木遥太さん(2019年『電脳演形キャステット』より、キャステット・ルキという機械人形の役)

 

こうして並べると、とてもとても。。懐かしいです。。。

まさかこのお二人と、4年後・3年後に、こうやって再びまたご一緒出来るとは…!

 

顔を白く塗っていない千葉瑞己さん(2022年『クラド』より、ニック【新國アラト】という公職員の役)

 

顔を白く塗っていない鈴木遥太さん(2022年『クラド』より、テネシー天正ユキ】という任侠一家の役)

 

はわわぁ。(CV:進堂)

 

なんだか流れた時間と、それを経て(きっとそれぞれ良い方向へ向けて)変わっていった我々と、その上で再び縁の線が重なり合った私たちという複合的な要素で、勝手にエモさを感じてしまいます。。

 

何が言いたいかというと、また二人と演劇を作れて、嬉しかった!ってこと!(圧倒的感謝…)

 

五億年前、いやもっと前に話を戻そう。

赤星は小学生・中学生・高校生と、演劇を作ったことはおろか、演劇を観たことすらありませんでした。

子どもの頃から漫画が大好きだった赤星は、親の金で大好きな漫画を買い漁り読みまくっていたというしょうもねぇキッズでした。ちなみに小説は難しいので全く読んでませんでした。唯一読んでいたのは何故か外国文学。わけが分からない文語調の文字の羅列として愉しんでいました。そんな経歴から(?)所謂ヲタクになったのは10歳の頃。

漫画が大好きだったので、漫画家になりてェな!!と思ったのですが、壊滅的に絵がヘタクソだったのと、それを努力してどうこうするという気力が自分にはないことを中学二年生の頃には察した赤星は、ソッコーで漫画家になる夢を諦めます。

じゃあ(?)小説家にでもなるかな!!と思った時期も一瞬あるのですが、自分の文章能力の無さに気付きそれも秒で諦めました

しょうもねぇキッズだったので、とにかくすぐに結果が出ないことをやるのが苦痛だったのです。(ゴミ??)

 

それから特にやりたいことも見つからず、なんとな~く進学校に行っていたこともあり、周りに流されるまま、なんとな~くそこら辺の(当然演劇とは全く関係のない)大学に進学しました。

そこで世界のバグに突然巻き込まれ、演劇というものに出会ってしまい、「あれ?これ私にも出来るんじゃね??(漫画みたいに自分が絵を描かなくても人を動かして絵を作れば表現が出来るし、小説みたいに全部状況説明を文字で書かなくても台詞と簡易的なト書きを書けば成り立つし)」と超軽率にも思った(思えた?)ことがきっかけで、大学在学中の2011年から脚本家・演出家としての活動を急に始め、そのまま在学中の2012年に劇団を旗揚げし、以降就職せず、大学に七年半囚われたりしながら卒業してもず~っと演劇ばっかりやってました。

ちなみにその途中過程で赤星が何故か白塗り演劇と句読点入れすぎ演劇を作るきっかけとなった「君、面白いね」先輩と出逢って秒で放り出されたり等色々あったけど、それはまた、別のおはなし。

 

と、此処まで書いて何ですが、演劇は、私にとってとても愉しいものであり、同時に全く愉しくはなかったです。(!?!?!!?)

ある瞬間は愉しい。ある瞬間は愉しくない。そういったことの連続性。総合的には愉しかったし、多分、好きなんだと思います。演劇という「魔性」に対して愛憎が入り乱れているので、認めたくはありませんが。

でも皆がキラキラと楽しんでいる瞬間を、遠く暗い場所から眺めながら、虚無感や無力感みたいなものを抱いていた瞬間も多くありました。

その果てに、自分はクリエイターとして、今のままでいいんだろうか。もっと良い在り方を突き詰めるべきなのでは?と、演劇を始めて十年目を迎える頃合いに思いました。

(そこに至るまでには、世界の情勢、自分の年齢、自分が掛かってしまった身体的な病気、自分の気持ち、様々な要因がありましたが、それはまた、別のおはなし。)

 

はじめは、昔から何にも情熱を傾けられない自分にとって、少なからず適性がある!という小さな小さな奇跡を喜んでいた「演劇を行う」という行為が、「せっかくだから。何処までも高く昇り詰めたい」という貪欲さに変化していったのはそれなりにすぐの出来事でした。それこそ、生まれて初めて脚本を書き演出を付けたあの頃からわりとすぐに。

「高く昇り詰める」という行為が、一体どういった意味を持つのか。深く考える前に、自分は地獄への旅路の一歩を大きく踏み外し、そのまま地の底に無抵抗のままおちて行きました。

 

今現在も、私はひたすら演劇と人生の狭間の虚無の道をおち続けているわけですが(?)その間に、色々なことを考えていました。

一番繰り返し心の中の壁をゴンゴンゴンと突いていたのは、「ごめんなさい」という懺悔。誰にとっても正しい人間としてこの世に存在出来ていなくて、ごめんなさい。全てを恙(つつが)なく回し続ける歯車になれなくてごめんなさい。皆が好きだったものを壊してしまってごめんなさい。自分のことを好きになれなくてごめんなさい。誰のことも好きになれなくて、ごめん。

絶対にまた誰かを傷付けるのに、作品をつくりたいと思ってごめんなさい。

ごめんなさい、ごめんなさい、そう思いながらも、結局自分の原初の欲を優先させてしまう自身がより一層、嫌いです。(つまる所、私は被害者ではなく圧倒的に加害者側の人間だということです)

 

そんなクソ重感情を勝手に経て、ゼロテラは生まれたワケです。(重~~~~~~~~~い)

 

ゼ……ゼロテラの語源の話…する?

ゼロは数字の零。何もない所からスタートするんだなって思ったし、これからも極力何も持たないようにしようという、いつまでも自分自身は「ゼロ」で居ようっていう、強い誓いだな。って。

テラは地球とか、大地とか。前の劇団が「☆」をモチーフにしていたから、私はもう夜空に輝く☆そのものにはなれないけど、いつまでもこの大地に両足を付けたまま、遠い☆のことを眺め、思おう。って。重いね

 

まぁとにかく、数年の虚無を経て、自分は再び演劇を作る場所へと戻って来たワケです。(虚無の穴におち続けながら)

 

----------キリトリ----------

 

 

『クラド』という単語が生まれた日の話

話が大きく飛んでいきますよ。このブログは。(救いは、ない)

自分のパソコンの中身を調べたら、この『クラド』という企画は、遡るとどうやら2021年9月某日15時56分のテキストファイルの情報が最も古いようです。

そこにはこう書いてありました。

 

ゼロテラ/001

『クラド』

◆あらすじ

かつて隠世(かくりよ)の浜と呼ばれるほど美しき奇観を誇った別荘地・糸ヶ原(いとがはら)地区は、度重なる再開発の末に「水」害に呑まれ、やがてバブル崩壊と共にゴーストタウンと化した。
この地区の別荘清掃人の家で育てられた天涯孤独の少年・新國(にっくに)アラトは
変わり果てた故郷から逃げるように上京したが、やがて挫折し再びこの地へ舞い戻ってきた。
そんな彼の瞳に映ったのは、「水」と共存しながらも新たに繁栄と混迷を極めた「無頼漢」たちが闊歩する地上の楽園【イトヶハラ】であった――…。

早速ならず者たちの〝洗礼〟を受け生死をさ迷う新國だったがこの地の勢力図の一翼を担う変人たちの集まり、任侠一家【クラド】の眉目良(みめよ)き首領・天正(てんしょう)ユキこと〝テネシー〟に助けられ、〝ニック〟という新しいあだ名を授かりこの混沌の地で再び生きるためもがく。

「水」に沈みしネオンの街をカケアガレ!
ネオピカレスク・狂瀾(きょうらん)ゲバルト!!

 

わ~~~~~なんか色々な要素が存在してたり存在してなかったりする~~~~。

 

色々ツッコミ所満載なのですが、ひとつずつ整理していきますね。

まず、この段階でゼロテラという名義と、公演ナンバリング「/001」、そして「クラド」というタイトルは何故だか決まっていたわけですね。

まず、この段階で舞台は出雲ではありませんでした。明確に覚えているのですが、この段階で舞台のモチーフは福岡に実在する「糸島(いとしま)」という海辺の地でした。私は今現在も糸島を結局訪れてはいないのですが、知り合いに糸島のことを聞き、調べて、良い場所だな~と心に残っていたのですね。

そんな糸島モチーフの「糸ヶ原(いとがはら)」という地が、再開発の末に「水」害に呑まれ、ゴーストタウンと化し、その後無頼漢たちが支配する地上の楽園として生まれ変わった…。という大筋は、この時から何故だか決まっていたようです。

それで、天涯孤独の少年・新國(にっくに)アラトが主人公として登場するワケですが、この時点で「少年」表記ということは、おそらく今現在のニックよりかな~~り若い設定の主人公像だったのでしょう。

しかも「この地区の別荘清掃人の家で育てられた天涯孤独の少年」という設定。この時点では新國少年は糸ヶ原出身で、別荘清掃人という謎の職業についていたようです。ただ天涯孤独という設定は、今と変わらずだったよう。

ちなみにこのファイル、続きがあって、なんとニックとテネシーの設定がほんの少しだけ書かれているのです。それによると…

 

●ニック 【新國(にっくに)アラト】
~天涯孤独の巻き込まれ型少年、挫折を乗り越えようともがく~
性別:男
年齢:10代後半
元ネタ:国之闇戸神(くにのくらどのかみ)、アトラース(大地神・天空を背負う者)
衣裳イメージ:きっちりした中華風のシンプルな普段着、少年らしさ
一人称:僕

本作の主人公。
事業に失敗した成金の両親に連れられ幼い頃共に心中するが自分だけ生き残り、天涯孤独の身となった。
糸ヶ原地区出身で、かつては邸宅を構えそこに住んでいたが両親の死後、即座に全て差し押さえられ施設に預けられそうになった所を別荘清掃人を営んでいた無愛想な叔父(父親の弟)に引き取られ坊ちゃん生活から一転、使用人のように糸ヶ原地区の別荘の雑務をこなしていた。
やがてバブル崩壊と共にゴーストタウンと化した故郷を捨てるように上京し、都会で清掃の仕事をしていた。

テネシー天正(てんしょう)ユキ】
~任侠一家【クラド】の首領(ボス)、掴み所のない眉目良い青年~
性別:男
年齢:20代前半
元ネタ:天之闇戸神(あめのくらどのかみ)、ゼウス(天空神・全知全能)
衣裳イメージ:ゆったりとしたモード系の派手な服、少年と大人の間
一人称:オレ

本作のもう一人の主人公。

 

逆ぎゃくゥ~~~~~!!!!!!!!

 

色々と、逆!!!今と!逆すぎる!!!

まずキャラ設定が、完成品だとニック26歳(一人称:俺)・テネシー21歳(一人称:僕)なのが、ここだと全然違う設定だったんですね。ちなみにこの時点では当然キャスティングなんてものはしていないので、これはキャストの誰に引っ張られた設定でもなく、赤星の頭の中の原初の作り込みだったということです。

この当時のことは何を考えてたとか私はほぼほぼ覚えてないのですが、多分、普通の清掃人の主人公と、ヒトを清掃してる闇の清掃人のもう一人の主人公の話を書きたかったのではないでしょうか。。

あとテネシーのことはこの時点では全く何も考えていなかったことが伺えますが、この時点ではおそらく兄弟がいるとか考えてなかったと思うので、テネシーが任侠一家【クラド】のボスとしてトップにいる想定だったのでしょうね。うっすらと思い出したのが、多分、テネシーがトップにいる【クラド】というアウトロー集団にニックが成り行きで入って、そこの仲間たちとワチャワチャ色々なことに巻き込まれ新しく生活していく……みたいな話を書こうとしたんだと思います。そりゃニックも少年だし中華風のきっちりした普段着着てるわ。どんな世界線??

 

そしてこの段階で既にこの話の元ネタである「国之闇戸神(くにのくらどのかみ)」「天之闇戸神(あめのくらどのかみ)」という超マイナーすぎてググってもほぼほぼ何も出てこない日本神話の神様をモチーフにしようと思ってはいたらしいです。あと、国・天というモチーフから大地神・天空神に繋げて、ギリシャ神話にまでモチーフを広げてキャラ作りをしようとしていたらしいです。この辺りは完成品・クラドの他キャラクターも同じ感じです。

この辺りで、当時色々な大人にこの設定を見せた所、「せっかく日本神話をモチーフにしているのだから舞台を出雲にしてみては?」と神アドヴァイスをいただき、ここから舞台が出雲へ移り、キャラ設定も練り直したようです。

 

次に古いファイルの日付は、2021年10月某日13時49分

こう書かれていました。

 

ゼロテラ/001

『クラド』

◆あらすじ

かつて隠世(かくりよ)の浜と呼ばれるほど美しき奇観を誇った出雲の地は、度重なる再開発の末に「水」害に吞み込まれ、やがてバブル崩壊と共にゴーストタウンと化した。
いつしか其処は黒社会の無頼漢たちが闊歩し、毒々しくも絢爛豪華なネオンで水に沈んだ街は妖しく照らし出され【出雲水都-イズモスイト-】として新たに生まれ変わった。

苦労人の地方公職員・新國(にっくに)アラトは上司の汚職事件に巻き込まれる形で東から出雲水都へ左遷され、黒社会の〝洗礼〟を受け間一髪の所をこの地を支配する巨大任侠一家・八戸掛(やとかけ)組の分家筋でありながら変人たちの集まり・娼館【クラド】を管理する眉目良(みめよ)きボス・天正(てんしょう)ユキこと〝テネシー〟に助けられ、〝ニック〟という新しいあだ名を授かりこの混沌の水都でもがき始める!
同時刻、日本各地に散らばった八戸掛の血で繋がった者達が一年に一度、血塗られた水都に集まり始めていた。この地に眠る財宝「マガタマ」を求めて―――。

浮ク者/沈ム者、黒は全てを塗りつぶす!
渇求(かっきゅう)の その先へ。

ネオピカレスク・狂瀾(きょうらん)ゲバルト!!

 

だいぶ近付いてきたよ~~~~~~!!!!!!!

 

まずニックが公職員になっていることに感動しました。何故か地方だけど。そして「東」という表記はしてあるのですが、おぼろげな記憶ですが確かなぜかこの段階では、ニックは東京の人じゃなかったんですよね。出雲より東の地方から来た、という設定で、何でかというとこの時代では何故か東京はもう滅びているって設定を考えていて、それで東京表記を避けていたのですが、ワケが分からなすぎるので途中でこの設定はそっと消されて、ニックは東京の人になったんだと思います。

そして、【クラド】という集団の名称は以前からずっと出ているのですが、まだカジノの話には辿り着いていなかったようです。八戸掛組云々は出てきましたが、この時点では【クラド】というものの立ち位置は「娼館」だったようです。急にヘキに走ってますね、どうした?

あらすじを読む限り、多分完成品・クラドより壮大な話にしたかったんでしょうね。たぶん、出雲の神在月をモチーフにしようとこの段階では決めていて、八戸掛組の血を分けた任侠たちが出雲に集まりサバイバルを繰り広げる……みたいな話にしたかったことが伺えます。「娼館」というのは、その訪れる八戸掛一家たちを色々な意味でもてなす、大切な要。と考えていたのですね。決してそういうことを考えて作った設定じゃないですよ!!もてなしってのは、娯楽とか観光とかですから。健全なんですよ!!という抵抗が伺えますね。気分は王蟲を背中で庇うナウシカのようでした。

 

続きに書かれてたキャラ設定です↓

●ニック 【新國(にっくに)アラト】
~苦労人だが野心ある青年、堕落の地に左遷された地方公職員~
性別:男
年齢:20代半ば
元ネタ:国之闇戸神(くにのくらどのかみ)、アトラース(大地神・天空を背負う者)
衣裳イメージ:公職員の制服(スーツ)、少し着崩している
一人称:俺

本作の主人公。
出雲よりさらに東の地で公職員(行政や治安維持を担当する公人)としてエリート街道を突き進む野心家だったが上司の汚職事件に巻き込まれる形で東から黒社会の温床である【出雲水都-イズモスイト-】に左遷され都落ちした。
自暴自棄になりながらもまた成り上がってやる!と意気込んでいたが黒社会の無頼漢たちに囲まれてしまい間一髪の所を〝テネシー〟に助けられ〝ニック〟というあだ名を授かりこの地の闇と向き合う。

テネシー天正(てんしょう)ユキ】
~娼館【クラド】の首領(ボス)、掴み所のない眉目良い青年~
性別:男
年齢:20代前半
元ネタ:天之闇戸神(あめのくらどのかみ)、ゼウス(天空神・全知全能)
衣裳イメージ:ゆったりとしたモード系の派手な服、少年と大人の間、中性的
一人称:僕

本作のもう一人の主人公。
この地を支配する巨大任侠一家・八戸掛(やとかけ)組の分家筋である娼館【クラド】を管理する、眉目良(みめよ)きボス。八戸掛組・組長と娼婦である愛人の子。
【出雲水都-イズモスイト-】の娯楽・観光業の全てを担い、一年に一回、神在月に日本各地から戻ってくる八戸掛組の無頼漢たちを盛大に接待しもてなす大切な役割を任されている。その立場から新たに赴任した公職員である〝ニック〟とも良い関係を築きたいと思っている。中性的で掴み所がないが西洋かぶれの変人で、人にすぐ西洋風のあだ名を付ける。

 

だいぶ、っぽいね!!!っぽくなってきたよ!

 

何故かニックの衣裳モチーフが少しスーツを気崩してたり、ニックが結構がっつり出雲水都に赴任してきてたり、テネシーの兄がまだ組長じゃないっぽい雰囲気があったりしますが、だいぶ、完成品・クラドと雰囲気は近付いてきたのではないでしょうか。

ちなみにこの後また色々な大人にこの設定を相談したら「娼館はコンプラ的にちょっと…娯楽・観光を担っているなら普通に「カジノ」にしてみては?」と至極まっとうなアドヴァイスをいただき、リゾートカジノ【クラド】が生まれたようです。涙。

 

ちなみにこの後も設定のねるねるねるねは数多く繰り返され、途中で何故かタイムリープ」「出雲水都以外の日本は既に滅びている」「現在と過去と未来がごちゃ混ぜになって同時に存在する世界」「登場人物実は全員巫子であり(??)仲間同士だけどメ神封印して記憶を失って架空の立場としての自分を信じて生きてそして争っているだけ」「全てが元通りになってもこの世に女が居ないから人類は全て緩やかに滅びるんですわ」というヤベェ設定の数々があったりしましたが、それらは全て闇(くら)き戸の奥深くにしまわれていきましたので、もう安心・安全です。(しまっちゃおうね~~~~~)

 

ちなみにこの時代のキャラ設定表が2021年11月某日18時11分付けのファイルで存在するんですが、まずキャラが10名いて(!?)、ニックとテネシー以外名前が絶妙に違くて、マジで違う世界線の『クラド』みたいで面白いです。

このキャラ表では八戸掛キュウセン的ポジションのキャラ(テネシーの兄)が存在するんですが下の名前が違ったり、説明を読む限り現在のキュウセンと定直が合体したようなキャラ設定だったり、テネシーと兄のパッパが存在していたり、真琴ジンポジションの怪しいオジサンがいたり、ケイリーさんの名前が全然違っててしかも分神じゃないっぽかったり(代わりに分神ポジの別キャラがいた)、進堂ポジだけど名前が全然違うキャラがテネシーの幼馴染ポジションでいたり、あまりにもカオス過ぎて面白いです。でもこの時点でモノザネはだいぶモノザネでした。何代目~表記が違ったのと、この時点での年齢設定は10代のショタだったけど。久々に見て「こんなの書いてたっけ……」と自分で全く覚えてなくて震えました。あまりにカオスすぎてここに記載するとワケがわからなすぎるので、これはいつか発売される非公式ウスインダカアツインダカワカラナイ本にでも記載することにします(記載するとは言っていない)。

 

そうこうしているうちに、2021年が終わるまでには、現在の『クラド』に限りなく近い企画書が出来上がり、キャスティングが始まっていったのだとデータは示しています。この段階でもまだ進堂だけは何故か五狼会ではなくギャンブル狂いの客で動画配信者として出雲水都をPRする陽キャだったけど、やがて世界は正常になっていきました。

 

 

 

そうしてこうして色々あって、ようやく完成して!皆が観たのが『クラド』って作品なんですな!!!!!!!!!(大声)(まとめ)

 

この段階で既に1万文字近く。

というわけで、実際に上演された完成品・『クラド』に関してのあれやこれやは、後編へ続く!!!!とさせていただきます。このまま書き続けると数万文字の卒業論文になってしまうので。

(なお、いつ続きが書かれるかは、未定です。すまんの)

 

 

うーん、あらゆる大人の事情で、語れる所、語れない所、すでにいっぱいあるけれど。

暗い話も明るい話も悲しい話も嬉しい話もいっぱいあるけど。でも、自分にとって過去がいつだって一番暗くて悲しいものだと思ってるから。それを自分が乗り越えられてるのかどうかは…自分ではよく分からないけど。でも、今、私は生きてて。生きようとしてて。自分的に言い換えるなら「生きてしまっているので」。

拙くとも、ちゃんと文字を書いたり、しっかり言葉を口にしたりしようって。

ある日訪れるおわりの瞬間まで、貝殻でいたり、無色透明でいることは、もうやめよう。って思った。

それは私が明確に、世界にとって「不愉快なノイズ」になるということで。世界や他者を傷付ける加害者であるということを認めることで。決して開き直りたいワケではないのですが……本当の自分を曝け出すのはとても怖い。だって私のような人間は、本来は誰にもその存在を赦してもらえないから。

でも私の本当の声は、鈴が転がるようなきれいな音じゃなくて、本当は聴いた人が思わず耳を塞ぎたくなるような、チューニングすらまともにされていない不協和音でしかないんです。そんな自分で居続けることは、「停滞」でしょうか。このノイズを突き詰めることは、「害悪」でしょうか。今、その難しい岐路に、私は立っています。

でも、あらゆる人の助けがあったとしても、人は生まれ来る時も死に行く時も、一人ですから。これは私のお母さんが、子どもの頃の私にくれた言葉。

だからこれからも、ひとりで考え続けます。時にひとに話しながら、最終的にはひとりで決めて、ひとりでいきます。いける所まで……

 

続く。