キルケが言うことには

Yu Akahoshi.ゼロテラの代表社員/脚本家・演出家

ゼロテラ /001『クラド』終演ブログ【前編】

こんにちは。

ゼロテラの赤星ユウです。

 

五億年ぶりにブログなるものを更新します。

 

まずは、ゼロテラ /001『クラド』

2022年9月28日(水)~10月2日(日)@六行会ホール

キャストの誰一人欠けることなく、無事最後まで駆け抜け、終演いたしました。

ご来場いただいた皆様、応援していただいた皆様、関係者の皆様、本当に本当にありがとうございました!

https://zeroterra.jp/crud/

 

五億年前、それはもう色々とありました。

多分このブログを読んでくださってる方は、五億年前の赤星を知っている方と、五億年前の赤星を知らない方と半々・もしくは後者の方が多いかも…って感じだと思うので、今日は『クラド』が生まれるに至ったまで、また『クラド』の内側の細かいことというよりは外側のふわっとしたオモイ…なぞをつらつら、語っていこうと思います。

 

書き終わってから気付きましたが、わりととても重い話をしていると思います。

精神衛生上、ガツンと来たくない方は読まないことをオススメします…ぴえん…。

あと後半は『クラド』が現在のクラドの形になるまで、をパソコンに残存していたファイルを元にさかのぼっています。こちらも別の方向でカオスすぎるので、今のクラドのイメージを崩したくない!!って方は、読まないことをオススメします…ぱおん…。

 

 

----------キリトリ----------

 

まず五億年前、赤星ユウはゼロテラの赤星ではなく、レティクル東京座の赤星でした。

レティクル東京座というのは赤星が2012年~2021年まで主宰・脚本・演出をやっていたエンタメ劇団で、人の顔を白く塗ったりしながら(?)唯一無二と持て囃された(?)大人数ワチャワチャ・キメキメ演劇を作っていたわけです(??)

その中で、2018年に上演した『氷雨丸 -常花の青年遊廓-』という作品で千葉瑞己さん【今作のニック】と、2019年に上演した『電脳演形キャステット』という作品で鈴木遥太さん【今作のテネシー】と出逢ったんですヌェ……(感慨深い)

参照⇒

youtu.be

 

顔を白く塗っていた時代の千葉瑞己さん(2018年『氷雨丸 -常花の青年遊廓-』より、チョウジという村人の役)

 

顔を白く塗っていた時代の鈴木遥太さん(2019年『電脳演形キャステット』より、キャステット・ルキという機械人形の役)

 

こうして並べると、とてもとても。。懐かしいです。。。

まさかこのお二人と、4年後・3年後に、こうやって再びまたご一緒出来るとは…!

 

顔を白く塗っていない千葉瑞己さん(2022年『クラド』より、ニック【新國アラト】という公職員の役)

 

顔を白く塗っていない鈴木遥太さん(2022年『クラド』より、テネシー天正ユキ】という任侠一家の役)

 

はわわぁ。(CV:進堂)

 

なんだか流れた時間と、それを経て(きっとそれぞれ良い方向へ向けて)変わっていった我々と、その上で再び縁の線が重なり合った私たちという複合的な要素で、勝手にエモさを感じてしまいます。。

 

何が言いたいかというと、また二人と演劇を作れて、嬉しかった!ってこと!(圧倒的感謝…)

 

五億年前、いやもっと前に話を戻そう。

赤星は小学生・中学生・高校生と、演劇を作ったことはおろか、演劇を観たことすらありませんでした。

子どもの頃から漫画が大好きだった赤星は、親の金で大好きな漫画を買い漁り読みまくっていたというしょうもねぇキッズでした。ちなみに小説は難しいので全く読んでませんでした。唯一読んでいたのは何故か外国文学。わけが分からない文語調の文字の羅列として愉しんでいました。そんな経歴から(?)所謂ヲタクになったのは10歳の頃。

漫画が大好きだったので、漫画家になりてェな!!と思ったのですが、壊滅的に絵がヘタクソだったのと、それを努力してどうこうするという気力が自分にはないことを中学二年生の頃には察した赤星は、ソッコーで漫画家になる夢を諦めます。

じゃあ(?)小説家にでもなるかな!!と思った時期も一瞬あるのですが、自分の文章能力の無さに気付きそれも秒で諦めました

しょうもねぇキッズだったので、とにかくすぐに結果が出ないことをやるのが苦痛だったのです。(ゴミ??)

 

それから特にやりたいことも見つからず、なんとな~く進学校に行っていたこともあり、周りに流されるまま、なんとな~くそこら辺の(当然演劇とは全く関係のない)大学に進学しました。

そこで世界のバグに突然巻き込まれ、演劇というものに出会ってしまい、「あれ?これ私にも出来るんじゃね??(漫画みたいに自分が絵を描かなくても人を動かして絵を作れば表現が出来るし、小説みたいに全部状況説明を文字で書かなくても台詞と簡易的なト書きを書けば成り立つし)」と超軽率にも思った(思えた?)ことがきっかけで、大学在学中の2011年から脚本家・演出家としての活動を急に始め、そのまま在学中の2012年に劇団を旗揚げし、以降就職せず、大学に七年半囚われたりしながら卒業してもず~っと演劇ばっかりやってました。

ちなみにその途中過程で赤星が何故か白塗り演劇と句読点入れすぎ演劇を作るきっかけとなった「君、面白いね」先輩と出逢って秒で放り出されたり等色々あったけど、それはまた、別のおはなし。

 

と、此処まで書いて何ですが、演劇は、私にとってとても愉しいものであり、同時に全く愉しくはなかったです。(!?!?!!?)

ある瞬間は愉しい。ある瞬間は愉しくない。そういったことの連続性。総合的には愉しかったし、多分、好きなんだと思います。演劇という「魔性」に対して愛憎が入り乱れているので、認めたくはありませんが。

でも皆がキラキラと楽しんでいる瞬間を、遠く暗い場所から眺めながら、虚無感や無力感みたいなものを抱いていた瞬間も多くありました。

その果てに、自分はクリエイターとして、今のままでいいんだろうか。もっと良い在り方を突き詰めるべきなのでは?と、演劇を始めて十年目を迎える頃合いに思いました。

(そこに至るまでには、世界の情勢、自分の年齢、自分が掛かってしまった身体的な病気、自分の気持ち、様々な要因がありましたが、それはまた、別のおはなし。)

 

はじめは、昔から何にも情熱を傾けられない自分にとって、少なからず適性がある!という小さな小さな奇跡を喜んでいた「演劇を行う」という行為が、「せっかくだから。何処までも高く昇り詰めたい」という貪欲さに変化していったのはそれなりにすぐの出来事でした。それこそ、生まれて初めて脚本を書き演出を付けたあの頃からわりとすぐに。

「高く昇り詰める」という行為が、一体どういった意味を持つのか。深く考える前に、自分は地獄への旅路の一歩を大きく踏み外し、そのまま地の底に無抵抗のままおちて行きました。

 

今現在も、私はひたすら演劇と人生の狭間の虚無の道をおち続けているわけですが(?)その間に、色々なことを考えていました。

一番繰り返し心の中の壁をゴンゴンゴンと突いていたのは、「ごめんなさい」という懺悔。誰にとっても正しい人間としてこの世に存在出来ていなくて、ごめんなさい。全てを恙(つつが)なく回し続ける歯車になれなくてごめんなさい。皆が好きだったものを壊してしまってごめんなさい。自分のことを好きになれなくてごめんなさい。誰のことも好きになれなくて、ごめん。

絶対にまた誰かを傷付けるのに、作品をつくりたいと思ってごめんなさい。

ごめんなさい、ごめんなさい、そう思いながらも、結局自分の原初の欲を優先させてしまう自身がより一層、嫌いです。(つまる所、私は被害者ではなく圧倒的に加害者側の人間だということです)

 

そんなクソ重感情を勝手に経て、ゼロテラは生まれたワケです。(重~~~~~~~~~い)

 

ゼ……ゼロテラの語源の話…する?

ゼロは数字の零。何もない所からスタートするんだなって思ったし、これからも極力何も持たないようにしようという、いつまでも自分自身は「ゼロ」で居ようっていう、強い誓いだな。って。

テラは地球とか、大地とか。前の劇団が「☆」をモチーフにしていたから、私はもう夜空に輝く☆そのものにはなれないけど、いつまでもこの大地に両足を付けたまま、遠い☆のことを眺め、思おう。って。重いね

 

まぁとにかく、数年の虚無を経て、自分は再び演劇を作る場所へと戻って来たワケです。(虚無の穴におち続けながら)

 

----------キリトリ----------

 

 

『クラド』という単語が生まれた日の話

話が大きく飛んでいきますよ。このブログは。(救いは、ない)

自分のパソコンの中身を調べたら、この『クラド』という企画は、遡るとどうやら2021年9月某日15時56分のテキストファイルの情報が最も古いようです。

そこにはこう書いてありました。

 

ゼロテラ/001

『クラド』

◆あらすじ

かつて隠世(かくりよ)の浜と呼ばれるほど美しき奇観を誇った別荘地・糸ヶ原(いとがはら)地区は、度重なる再開発の末に「水」害に呑まれ、やがてバブル崩壊と共にゴーストタウンと化した。
この地区の別荘清掃人の家で育てられた天涯孤独の少年・新國(にっくに)アラトは
変わり果てた故郷から逃げるように上京したが、やがて挫折し再びこの地へ舞い戻ってきた。
そんな彼の瞳に映ったのは、「水」と共存しながらも新たに繁栄と混迷を極めた「無頼漢」たちが闊歩する地上の楽園【イトヶハラ】であった――…。

早速ならず者たちの〝洗礼〟を受け生死をさ迷う新國だったがこの地の勢力図の一翼を担う変人たちの集まり、任侠一家【クラド】の眉目良(みめよ)き首領・天正(てんしょう)ユキこと〝テネシー〟に助けられ、〝ニック〟という新しいあだ名を授かりこの混沌の地で再び生きるためもがく。

「水」に沈みしネオンの街をカケアガレ!
ネオピカレスク・狂瀾(きょうらん)ゲバルト!!

 

わ~~~~~なんか色々な要素が存在してたり存在してなかったりする~~~~。

 

色々ツッコミ所満載なのですが、ひとつずつ整理していきますね。

まず、この段階でゼロテラという名義と、公演ナンバリング「/001」、そして「クラド」というタイトルは何故だか決まっていたわけですね。

まず、この段階で舞台は出雲ではありませんでした。明確に覚えているのですが、この段階で舞台のモチーフは福岡に実在する「糸島(いとしま)」という海辺の地でした。私は今現在も糸島を結局訪れてはいないのですが、知り合いに糸島のことを聞き、調べて、良い場所だな~と心に残っていたのですね。

そんな糸島モチーフの「糸ヶ原(いとがはら)」という地が、再開発の末に「水」害に呑まれ、ゴーストタウンと化し、その後無頼漢たちが支配する地上の楽園として生まれ変わった…。という大筋は、この時から何故だか決まっていたようです。

それで、天涯孤独の少年・新國(にっくに)アラトが主人公として登場するワケですが、この時点で「少年」表記ということは、おそらく今現在のニックよりかな~~り若い設定の主人公像だったのでしょう。

しかも「この地区の別荘清掃人の家で育てられた天涯孤独の少年」という設定。この時点では新國少年は糸ヶ原出身で、別荘清掃人という謎の職業についていたようです。ただ天涯孤独という設定は、今と変わらずだったよう。

ちなみにこのファイル、続きがあって、なんとニックとテネシーの設定がほんの少しだけ書かれているのです。それによると…

 

●ニック 【新國(にっくに)アラト】
~天涯孤独の巻き込まれ型少年、挫折を乗り越えようともがく~
性別:男
年齢:10代後半
元ネタ:国之闇戸神(くにのくらどのかみ)、アトラース(大地神・天空を背負う者)
衣裳イメージ:きっちりした中華風のシンプルな普段着、少年らしさ
一人称:僕

本作の主人公。
事業に失敗した成金の両親に連れられ幼い頃共に心中するが自分だけ生き残り、天涯孤独の身となった。
糸ヶ原地区出身で、かつては邸宅を構えそこに住んでいたが両親の死後、即座に全て差し押さえられ施設に預けられそうになった所を別荘清掃人を営んでいた無愛想な叔父(父親の弟)に引き取られ坊ちゃん生活から一転、使用人のように糸ヶ原地区の別荘の雑務をこなしていた。
やがてバブル崩壊と共にゴーストタウンと化した故郷を捨てるように上京し、都会で清掃の仕事をしていた。

テネシー天正(てんしょう)ユキ】
~任侠一家【クラド】の首領(ボス)、掴み所のない眉目良い青年~
性別:男
年齢:20代前半
元ネタ:天之闇戸神(あめのくらどのかみ)、ゼウス(天空神・全知全能)
衣裳イメージ:ゆったりとしたモード系の派手な服、少年と大人の間
一人称:オレ

本作のもう一人の主人公。

 

逆ぎゃくゥ~~~~~!!!!!!!!

 

色々と、逆!!!今と!逆すぎる!!!

まずキャラ設定が、完成品だとニック26歳(一人称:俺)・テネシー21歳(一人称:僕)なのが、ここだと全然違う設定だったんですね。ちなみにこの時点では当然キャスティングなんてものはしていないので、これはキャストの誰に引っ張られた設定でもなく、赤星の頭の中の原初の作り込みだったということです。

この当時のことは何を考えてたとか私はほぼほぼ覚えてないのですが、多分、普通の清掃人の主人公と、ヒトを清掃してる闇の清掃人のもう一人の主人公の話を書きたかったのではないでしょうか。。

あとテネシーのことはこの時点では全く何も考えていなかったことが伺えますが、この時点ではおそらく兄弟がいるとか考えてなかったと思うので、テネシーが任侠一家【クラド】のボスとしてトップにいる想定だったのでしょうね。うっすらと思い出したのが、多分、テネシーがトップにいる【クラド】というアウトロー集団にニックが成り行きで入って、そこの仲間たちとワチャワチャ色々なことに巻き込まれ新しく生活していく……みたいな話を書こうとしたんだと思います。そりゃニックも少年だし中華風のきっちりした普段着着てるわ。どんな世界線??

 

そしてこの段階で既にこの話の元ネタである「国之闇戸神(くにのくらどのかみ)」「天之闇戸神(あめのくらどのかみ)」という超マイナーすぎてググってもほぼほぼ何も出てこない日本神話の神様をモチーフにしようと思ってはいたらしいです。あと、国・天というモチーフから大地神・天空神に繋げて、ギリシャ神話にまでモチーフを広げてキャラ作りをしようとしていたらしいです。この辺りは完成品・クラドの他キャラクターも同じ感じです。

この辺りで、当時色々な大人にこの設定を見せた所、「せっかく日本神話をモチーフにしているのだから舞台を出雲にしてみては?」と神アドヴァイスをいただき、ここから舞台が出雲へ移り、キャラ設定も練り直したようです。

 

次に古いファイルの日付は、2021年10月某日13時49分

こう書かれていました。

 

ゼロテラ/001

『クラド』

◆あらすじ

かつて隠世(かくりよ)の浜と呼ばれるほど美しき奇観を誇った出雲の地は、度重なる再開発の末に「水」害に吞み込まれ、やがてバブル崩壊と共にゴーストタウンと化した。
いつしか其処は黒社会の無頼漢たちが闊歩し、毒々しくも絢爛豪華なネオンで水に沈んだ街は妖しく照らし出され【出雲水都-イズモスイト-】として新たに生まれ変わった。

苦労人の地方公職員・新國(にっくに)アラトは上司の汚職事件に巻き込まれる形で東から出雲水都へ左遷され、黒社会の〝洗礼〟を受け間一髪の所をこの地を支配する巨大任侠一家・八戸掛(やとかけ)組の分家筋でありながら変人たちの集まり・娼館【クラド】を管理する眉目良(みめよ)きボス・天正(てんしょう)ユキこと〝テネシー〟に助けられ、〝ニック〟という新しいあだ名を授かりこの混沌の水都でもがき始める!
同時刻、日本各地に散らばった八戸掛の血で繋がった者達が一年に一度、血塗られた水都に集まり始めていた。この地に眠る財宝「マガタマ」を求めて―――。

浮ク者/沈ム者、黒は全てを塗りつぶす!
渇求(かっきゅう)の その先へ。

ネオピカレスク・狂瀾(きょうらん)ゲバルト!!

 

だいぶ近付いてきたよ~~~~~~!!!!!!!

 

まずニックが公職員になっていることに感動しました。何故か地方だけど。そして「東」という表記はしてあるのですが、おぼろげな記憶ですが確かなぜかこの段階では、ニックは東京の人じゃなかったんですよね。出雲より東の地方から来た、という設定で、何でかというとこの時代では何故か東京はもう滅びているって設定を考えていて、それで東京表記を避けていたのですが、ワケが分からなすぎるので途中でこの設定はそっと消されて、ニックは東京の人になったんだと思います。

そして、【クラド】という集団の名称は以前からずっと出ているのですが、まだカジノの話には辿り着いていなかったようです。八戸掛組云々は出てきましたが、この時点では【クラド】というものの立ち位置は「娼館」だったようです。急にヘキに走ってますね、どうした?

あらすじを読む限り、多分完成品・クラドより壮大な話にしたかったんでしょうね。たぶん、出雲の神在月をモチーフにしようとこの段階では決めていて、八戸掛組の血を分けた任侠たちが出雲に集まりサバイバルを繰り広げる……みたいな話にしたかったことが伺えます。「娼館」というのは、その訪れる八戸掛一家たちを色々な意味でもてなす、大切な要。と考えていたのですね。決してそういうことを考えて作った設定じゃないですよ!!もてなしってのは、娯楽とか観光とかですから。健全なんですよ!!という抵抗が伺えますね。気分は王蟲を背中で庇うナウシカのようでした。

 

続きに書かれてたキャラ設定です↓

●ニック 【新國(にっくに)アラト】
~苦労人だが野心ある青年、堕落の地に左遷された地方公職員~
性別:男
年齢:20代半ば
元ネタ:国之闇戸神(くにのくらどのかみ)、アトラース(大地神・天空を背負う者)
衣裳イメージ:公職員の制服(スーツ)、少し着崩している
一人称:俺

本作の主人公。
出雲よりさらに東の地で公職員(行政や治安維持を担当する公人)としてエリート街道を突き進む野心家だったが上司の汚職事件に巻き込まれる形で東から黒社会の温床である【出雲水都-イズモスイト-】に左遷され都落ちした。
自暴自棄になりながらもまた成り上がってやる!と意気込んでいたが黒社会の無頼漢たちに囲まれてしまい間一髪の所を〝テネシー〟に助けられ〝ニック〟というあだ名を授かりこの地の闇と向き合う。

テネシー天正(てんしょう)ユキ】
~娼館【クラド】の首領(ボス)、掴み所のない眉目良い青年~
性別:男
年齢:20代前半
元ネタ:天之闇戸神(あめのくらどのかみ)、ゼウス(天空神・全知全能)
衣裳イメージ:ゆったりとしたモード系の派手な服、少年と大人の間、中性的
一人称:僕

本作のもう一人の主人公。
この地を支配する巨大任侠一家・八戸掛(やとかけ)組の分家筋である娼館【クラド】を管理する、眉目良(みめよ)きボス。八戸掛組・組長と娼婦である愛人の子。
【出雲水都-イズモスイト-】の娯楽・観光業の全てを担い、一年に一回、神在月に日本各地から戻ってくる八戸掛組の無頼漢たちを盛大に接待しもてなす大切な役割を任されている。その立場から新たに赴任した公職員である〝ニック〟とも良い関係を築きたいと思っている。中性的で掴み所がないが西洋かぶれの変人で、人にすぐ西洋風のあだ名を付ける。

 

だいぶ、っぽいね!!!っぽくなってきたよ!

 

何故かニックの衣裳モチーフが少しスーツを気崩してたり、ニックが結構がっつり出雲水都に赴任してきてたり、テネシーの兄がまだ組長じゃないっぽい雰囲気があったりしますが、だいぶ、完成品・クラドと雰囲気は近付いてきたのではないでしょうか。

ちなみにこの後また色々な大人にこの設定を相談したら「娼館はコンプラ的にちょっと…娯楽・観光を担っているなら普通に「カジノ」にしてみては?」と至極まっとうなアドヴァイスをいただき、リゾートカジノ【クラド】が生まれたようです。涙。

 

ちなみにこの後も設定のねるねるねるねは数多く繰り返され、途中で何故かタイムリープ」「出雲水都以外の日本は既に滅びている」「現在と過去と未来がごちゃ混ぜになって同時に存在する世界」「登場人物実は全員巫子であり(??)仲間同士だけどメ神封印して記憶を失って架空の立場としての自分を信じて生きてそして争っているだけ」「全てが元通りになってもこの世に女が居ないから人類は全て緩やかに滅びるんですわ」というヤベェ設定の数々があったりしましたが、それらは全て闇(くら)き戸の奥深くにしまわれていきましたので、もう安心・安全です。(しまっちゃおうね~~~~~)

 

ちなみにこの時代のキャラ設定表が2021年11月某日18時11分付けのファイルで存在するんですが、まずキャラが10名いて(!?)、ニックとテネシー以外名前が絶妙に違くて、マジで違う世界線の『クラド』みたいで面白いです。

このキャラ表では八戸掛キュウセン的ポジションのキャラ(テネシーの兄)が存在するんですが下の名前が違ったり、説明を読む限り現在のキュウセンと定直が合体したようなキャラ設定だったり、テネシーと兄のパッパが存在していたり、真琴ジンポジションの怪しいオジサンがいたり、ケイリーさんの名前が全然違っててしかも分神じゃないっぽかったり(代わりに分神ポジの別キャラがいた)、進堂ポジだけど名前が全然違うキャラがテネシーの幼馴染ポジションでいたり、あまりにもカオス過ぎて面白いです。でもこの時点でモノザネはだいぶモノザネでした。何代目~表記が違ったのと、この時点での年齢設定は10代のショタだったけど。久々に見て「こんなの書いてたっけ……」と自分で全く覚えてなくて震えました。あまりにカオスすぎてここに記載するとワケがわからなすぎるので、これはいつか発売される非公式ウスインダカアツインダカワカラナイ本にでも記載することにします(記載するとは言っていない)。

 

そうこうしているうちに、2021年が終わるまでには、現在の『クラド』に限りなく近い企画書が出来上がり、キャスティングが始まっていったのだとデータは示しています。この段階でもまだ進堂だけは何故か五狼会ではなくギャンブル狂いの客で動画配信者として出雲水都をPRする陽キャだったけど、やがて世界は正常になっていきました。

 

 

 

そうしてこうして色々あって、ようやく完成して!皆が観たのが『クラド』って作品なんですな!!!!!!!!!(大声)(まとめ)

 

この段階で既に1万文字近く。

というわけで、実際に上演された完成品・『クラド』に関してのあれやこれやは、後編へ続く!!!!とさせていただきます。このまま書き続けると数万文字の卒業論文になってしまうので。

(なお、いつ続きが書かれるかは、未定です。すまんの)

 

 

うーん、あらゆる大人の事情で、語れる所、語れない所、すでにいっぱいあるけれど。

暗い話も明るい話も悲しい話も嬉しい話もいっぱいあるけど。でも、自分にとって過去がいつだって一番暗くて悲しいものだと思ってるから。それを自分が乗り越えられてるのかどうかは…自分ではよく分からないけど。でも、今、私は生きてて。生きようとしてて。自分的に言い換えるなら「生きてしまっているので」。

拙くとも、ちゃんと文字を書いたり、しっかり言葉を口にしたりしようって。

ある日訪れるおわりの瞬間まで、貝殻でいたり、無色透明でいることは、もうやめよう。って思った。

それは私が明確に、世界にとって「不愉快なノイズ」になるということで。世界や他者を傷付ける加害者であるということを認めることで。決して開き直りたいワケではないのですが……本当の自分を曝け出すのはとても怖い。だって私のような人間は、本来は誰にもその存在を赦してもらえないから。

でも私の本当の声は、鈴が転がるようなきれいな音じゃなくて、本当は聴いた人が思わず耳を塞ぎたくなるような、チューニングすらまともにされていない不協和音でしかないんです。そんな自分で居続けることは、「停滞」でしょうか。このノイズを突き詰めることは、「害悪」でしょうか。今、その難しい岐路に、私は立っています。

でも、あらゆる人の助けがあったとしても、人は生まれ来る時も死に行く時も、一人ですから。これは私のお母さんが、子どもの頃の私にくれた言葉。

だからこれからも、ひとりで考え続けます。時にひとに話しながら、最終的にはひとりで決めて、ひとりでいきます。いける所まで……

 

続く。

 

【何故このタイミングなのか】『氷雨丸 -常花の青年遊廓-』今更終演ブログ+創作過程のメモ!【キャステット初日前】

皆様こんにちは。

赤星です。

 

大変遅ればせながら

レティクル東京座 D<ダーク>エンタメ公演『氷雨丸 -常花の青年遊廓-』

先日、無事終演しました!ありがとうございました!

↑この上の文章を書いたのが、まだ六月だったんです。。最早「先日」とかって次元ではなくなってしまうくらい、時間が…時間が…経ってしまいました…すまない…。

↑それからさらに時が経ち年が明けた。本当にすまない。明けましておめでとう。

↑ていうかもう今日、氷雨丸の次の本公演『電脳演形キャステット』初日なんです。ゲネ前にこれ最後整えてます。本当に本当にすまない。

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超~~~~今更だけど、『氷雨丸』楽しんで頂けたかな?

私はやってて超~~~楽しかったよー。

 

終演したということで、創作における様々なメモ書きを散らかったまま綴ろうと思います…IMASARA!

毎回言ってますが、事実上私が作者なので私が言ったことって「公式」とか「正解」になってしまうと思うのですが、私は作品は作者の手を離れた時点で観客・読者・受け手のものだと思ってるので、『氷雨丸』の正解はあなたの心の思うがままに…って感じでオネシャス!ここに綴るのは、赤星はこんなこと考えながら作ってました~ぐらいのさらっとした色々です!

 

-----キリトリ-----

 

『恐山』って、めちゃくちゃ憧れていた。

小学生の頃から憧れていた。ある漫画がめちゃくちゃ大好きだったから…。

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シャーマンキング

(著・武井宏之

週刊少年ジャンプで連載していた少年漫画である。あの世とこの世を結ぶシャーマン(スーパー霊能力者的なもの)のキングを決める漫画だ。人間と人間を超越したものたちの話だ。詳しくはググってくれ。

私はこの漫画がキッカケでオタクになった。これに『恐山』が出てくるんですよ。そもそもヒロインの名前が恐山(きょうやま)アンナですし、アンナはイタコですし、その後主人公とヒロインの過去編で『恐山』に行く話が出てくるんですよねー!

 

そして私が恐山を知るキッカケがもうひとつ。中学生の時にめちゃくちゃハマった歌手!その名も…

あさき。

コナミ系のゲームミュージックの作曲家・歌手である。このあさき氏が作曲した『蛹(さなぎ)』という曲がある。デビュー曲らしい。すごすぎ。この蛹も、恐れのお山で生まれた子を歌った(と思われる)歌…めっちゃカッコイイ曲なんです…でも不気味な曲なので注意です…ロングとショートで全然違う曲です…私はどちらもめっちゃ好き…。

 

恐山。おそれざん・おそれやま。

青森県下北半島に存在する日本三大霊場のひとつ。霊場…霊験あらたかな神聖な地。

私が恐山を知るきっかけは上記の二つで、まぁどちらもとても不気味なので、「恐山」ってめちゃくちゃ怖い所だと思ってた。「恐山」って字面がまず怖いし、「霊場」って字面も怖いし、中学生の頃は行ったら呪われるぐらいおそろしい場所だと思ってた。(本当にすみません。。)

行ってみたい行ってみたいと思いつつ、遠いし、怖いし、なかなか行けなかった。

大学生の頃、まぁあらゆる遠い所にも行けるぐらいになった時に、ふと「恐山…行きたい…」と思って、行き方とか調べた。

すると、「観光地としての恐山。5月~10月しか開門していない。それ以外は雪のため閉山する!?」という事実が発覚。当時大学生だった頃、夏休みは8~9月。でもその頃はその時期に演劇サークルの公演があって…とズルズル行けない言い訳をしていた。

 

そうこうしているうちに、2016年頃に「東北の恐山を舞台にした青年遊廓の話」の構想が思いつく。所謂『男遊廓 青海丸(おとこゆうかく おうみまる)』だ。

ずっと行ってなかったけど…!これを機会に行くしかない!と思い、

2017年10月にやっと行ってきました。

恐山へ!!!

ここに来て気付きました。これは『氷雨丸』終演ブログではなく、赤星ユウ恐山旅行記録なのでは…?細けぇこたぁいいんだよ!!(AA略

2017年10月、ついに憧れだった恐山へ向かったのであった!一人で!!余談ですがこの時初めて一人旅に行きました。一人旅、何から何まで自分のタイミングで出来て快適だった…ハマりそう…ちなこの後も何回か別の場所に一人旅しました。ハマっている(確信)

東京(埼玉。埼玉!!)から東北新幹線八戸駅まで約3時間。その後「青い森鉄道」なる2両編成?の小さな可愛い電車で下北駅へ約1時間半。下北駅は本州最北端の駅なんですよ。そして下北駅からは恐山に向けて下北交通バスで約40分程。

ざっと5時間程で東京から恐山に行けてしまうのだ。なおどの交通機関も乗り換えがとてもシビアでタイミングがズレると数時間待ちぼうけになるから要注意だ。

日本の真ん中ら辺から本州最北端まで5時間程度で行けてしまうことの便利さと怖さに文明を感じるし、行こうと思えばたった5時間でこの地に来れたのに何年も何十年も掛かってる自分の踏ん切りのつかなさが改めてヤだ。

 

とかなんとか思いながら、実は赤星ユウは旅行が趣味なのです。海外も国内も何処でも行くよ。最近海外行けてないけど。。

旅行って楽しい。知らない景色がいっぱい見れるし普段出来ないことが出来る。あと、計画を立てるのが結構好き。私は行く場所は事前にガッツリ調べるのですが、恐山もいっぱい調べた。「恐山は字面は怖いけど怖い場所ではない」「祈りの地」「魂の還る場所」「人は死んだらお山(やま)さ行く」「地獄と極楽併せ持つ」…etc etc…最初に抱いたイメージとどうやらかなり違うようだ……そしてついに実際に訪れてみた。恐山へ!!

ざっとその時撮った写真を並べます。

めちゃくちゃ……めちゃくちゃ素敵な場所だったのです!!!

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伝わるかな~~~!!!この素敵さが!!!!

カメラは最近趣味で始めたばかりだから写真の拙さについてはすまない。写真上手くなりたい。

地獄と極楽が混在している様!朽ちていく土地!美しく色鮮やかな風車たち!伝わるかな…!

もう本当ね…素敵な場所だったのです…訪れた瞬間から「また来たい…」って思ってた…。

山に四方八方囲まれた閉ざされた地…沸き上がる硫黄とガスによって錆び付いて崩れていくだけの建造物…風向きを変える為に積まれた石…(そして同時に『賽の河原』の伝承にもなっているかなしき景色…)さながらその様は地獄…しかしその地獄を進んだ先に広がる、極楽かと見違える程の静かな湖…宇曽利湖(うそりこ)…強い酸性の湖には生命は住めない…(酸性に強いウグイ一種類のみしか住んでないらしい…)

クルクル風車が廻る……風車は売店で一本400円で売っている…風車はお線香の代わり…硫黄ガスが噴出する恐山では所定の場所以外で火を点けることは御法度…故にお線香の代わりに風車が供えられる…風車は過去・現在・未来へとクルクル廻る輪廻転生の象徴…。

「人は死んだらお山に行く」下北の地ではそんな伝承があるそうな。今回、赤星は恐山境内のお寺に宿泊したので、お寺の方にも実際色々お話聞いたのですが、恐山はあまり宗派にこだわってないんだそう。祈り方も、人ぞれぞれ・自由なんだって。だから宗派に関係なく、色々な祈り方や祈りを携えて鎮魂のために人がやって来る。民衆に寄り添った場所、といった感じ。なんだか開放的で…確かに、自分が死んだら恐山にやって来たいと思えた。それぐらい、生者にとっても死者にとっても垣根のない、居心地の良い場所なんだろうなぁ。

恐れのお山のご本尊は地蔵。地蔵が導く御國は極楽浄土の浮き橋…。

心踊る土地じゃあないか!!(CV:犀鳥先生)

 

とにかく、不可思議な土地で…とても静かで…(オフシーズンに行ったからかも)

温泉も湧いてて…めっちゃパワーもらった…でも本当に硫黄がゴボゴボ湧き出てるから…恐ろしくもあり…生命と死が隣り合わせというか…本当に素敵な土地だった…。

旅の余談。宿泊した寺から、「夜は虫が入るので絶対に窓を開けてはいけない。でも朝になったら空気を入れ換える為に窓を開けること」と言われた。え~でも寒いし、朝とか窓開けなくてもいいんじゃないかな~と思い眠って起きたら…朝!息が苦しい!!部屋の中が硫黄ガス?で溢れてた!なるほど…朝に窓を開けないと生きていけないんだな…と思った。空気の入れ換えがあんなに重要だとは思わなかった…。

ちなみに恐山から出た自分はとても硫黄の匂いがした。そのまま東京(埼玉)に帰ったけどちょっと恥ずかしかった。リュックも硫黄の匂いがすごかったから帰って洗った。

恐山…また絶対に行きたいし、もし『氷雨丸』観て恐山気になる!って人が居たら是非行ってほしい。寺にも泊まってほしい。5~10月までしか行けないので注意!この記事が公開されてる頃にはもう手遅れでしょう。来年ゼヒ。私もまた来年行きたい。

↑ここで「来年ゼヒ」と書いてるけどもう「今年ゼヒ」です。すまない。

 

ここからは『氷雨丸』の話をしよう。

 

氷雨丸』は、レティクル東京座がL<ライト>・N<ニュートラル>・D<ダーク>エンタメという冠を今後公演毎に冠していくとした時に、一つ、ある試みをする為に生み出された演目だ。

今回の『氷雨丸』はD<ダーク>エンタメだったけど、次はL<ライト>かN<ニュートラル> のように別の冠名を冠したら面白いな…!?と思って。いつかの未来で、もし続編があったなら、同一の演目名で・だけど違う冠名でシリーズ化出来たら面白いだろうな!と思って動き出したプロジェクトです。勝手に。

なので、自分の頭の中には、今作『氷雨丸 -常花の青年遊廓-』を構成しながら、さらに続きの『氷雨丸』の構想もあった。今作は今作で完結させるけど、次作にも繋げやすいように作りました。それは演劇という媒体ではなかなか難しいことだろうけど…でも自分が「劇団」という母体を持っていて、「作品」の権利を持っているので…可能か不可能かで言えば可能なんだよなぁ…と思って、挑戦してみることにしました。今の段階で実現するかどうかは、分かりませんが!

キャストにこの話をしたら、L<ライト>エンタメ公演『氷雨丸 -常夏(とこなつ)の島のパラダイス-』を提案されました。絶対に楽しいヤツじゃん、それ。。

ちなみに、私の脳内には、『氷雨丸 -常花の青年遊廓-』の構想の段階で、何故か次の『氷雨丸』の冒頭の構想だけありました。。氷雨丸と…清らが…ゴニョゴニョ…。実現する時の為に、今ここでは言えないけど。。

まぁ、次があるかどうかなんてわからないけど!演劇だから!でも次があったら、素敵やね。。

 

●『氷雨丸』のモチーフの話

今作も自分が大好きなモチーフをいっぱい詰め込みました。

「男女逆転アンビバレンス執着綺劇!」といった作品のテーマをバーンと提示させて頂きましたが、自分が考える「男女逆転」と他人が思うソレってまた全然違って、宣伝の際にどうしよっかなと思ったりもしたけど、まぁ誤解も含めてとりあえず作品を観て判断してもらえればいいかなと思った。

なんか自分的には「男女逆転」って男装とか女装とかそういった外面的なシンプルな話ではなくて、例えば立場とか、作品におけるポジションとか、って話かなと自分で自分を分析しています。そんなこと言いながら女装男子が出てるって?ストーリー上必要だったから出しただけです、性癖じゃないです。性癖じゃないんで。

女装男子についてはこだわりがあります。決して「女」にさせないこと。男が男のまま女になる(なってない)のが好きなんです。性癖じゃないです。

話が色々飛ぶんですが、私は基本的に、どんな作品を作る時もあまり「性別」ってものに拘らず書いてます。男性が演じようが女性が演じようが違和感のない演劇を作りたくて。でもそれって、究極的に、「性別」に固執してると言えるんですよね。

例えば今作だと、「普通は」主人公の侍は男性で、遊廓に居る遊女は女性で、それを手籠めにする将軍は男性でしょうけど、今作は全て逆。何故そうしたかっていうと、それは私が「遊廓に居る男性のヒロイン」が観たかったし描きたかったからなんですね。そこからスタートして、侍と将軍が女性になった。でも、今回は氷雨丸と徳川セラフィーマは女性が演じたけど、もし誰かがこの作品を演出するってなった時に、氷雨丸と徳川セラフィーマは男性が演じてもいいんです。そのように作りました。想像してみると、氷雨丸と徳川セラフィーマは、女性が演じても男性が演じても違和感ないと思いませんか?

でも、「清ら」は男性が演じないとしんどい台本だと思います。刀とか、舐めさせられるんで…。あれは女性がやるのは、キツいと思います。男性がやるの前提で、書いた台本だし、付けた演出だから。

「性別」というものに固執しないからこそ、私は「性別」というものに人一倍固執します。矛盾しているようで、自分の中では矛盾してません。

安易な男性性・女性性の逆転じゃなく、もっと根源的なものが描きたいと思った。「性」というのは非常に、面白いテーマです。でも、扱い方を間違えると、その作品はどこまでも安っぽくなる。自分の作品が安っぽくないって言いたいワケじゃなくて、私は安っぽい作品は描きたくなくて、そうならないよう努めたいってところ。もしも安っぽく見えたならすんません、精進します、憤怒。って感じ。

女性を描くのも男性を描くのもどちらも楽しいけど、「男性」のみが持つ不可思議さ、美しさ、暴力性、エゴ、プライド…そういったものを描いたり演出したりするのが好きです。今作ではそういった矢印をいっぱい表現してみました。

 

「男女逆転」の他にもう一つ、「仏教・宗教」的な要素について。

今作だけじゃなく、私は宗教的な要素を作品に入れるのが好きです。宗教じゃねぇ

今作は「青年遊廓」と銘打ってるけど、スタンダードな遊廓モノにはしたくなくて、複合的に、そこに「祭壇」とか「供物」とか「アウトカースト」とかってモチーフも織り交ぜてみた。人身御供~。

イメージでいうところの「巨大な仏壇」それが『常花新地』。捧げられる花、「常花」。供物。贄。犠牲、救い、冀望、私。

また話が飛ぶよ。

自分としては、仏壇とか、仏さまとか供えものって、昔からかなり身近な存在だった。何でかというと、祖父が宮大工の棟梁で、寺とか作りまくってたから。私は子供の頃に日本各地の寺を見て、一般の人が入れない場所にある祭壇を見て、捧げられてる花とか果物とか蝋燭とか沢山見て、沢山のお経を聞いて、過ごした結果がコレなのかもしれない。とぼんやり思う。あまり自分の過去とか意識しないけど、完成した『氷雨丸』を観て、もしかしたらこれは大きな私自身なのかもなーとも思った。私の身体の中の「海」が抱えた世界の一つなのかもしれない。

「遊廓」という穢れた地と、「祭壇」という尊き地が、混ざったら面白いなと思って。もしそれが一緒だったら、何が起こるかというと、人間の汚い部分も美しい部分も全て曝け出される、地獄なんだか極楽なんだか分からない地が生まれる。と思って。

それこそ「矛盾」で、でも「真実の姿」なんだと思う、女性性・男性性を越えた先の、つまるところ「人間性」。私は、人間というモチーフを研究して、描くのが大好きなのです。なお日常生活では

 

「アンビバレンス」は相反したものが同時に存在するということ。私はよくそういう状態になってるし、多分、日常生活がそんな感じ。どちらも内包しているということは、どちらでもあって、どちらでもないし、つまるところ「無」に陥りやすいのです。私もまた空っぽで面白みのない人間ということです。何言ってんだ?

 

執着綺劇!の「綺」。美しいとか、華やかって意味で付けました。

「執着」っておどろおどろしい字面だしイメージだけど、それがある故に、美しい芝居になればいいなと思って。なったかな?

私は「美しさ」を描ける作家とか、演出家になりたいなって最近強く思いました。役者に白塗りさせてるのもその一環なのかも。こーいうの書くなよって感じかもだけど、お金は掛ければ掛けるだけあらゆる意味で芝居は美しくなります。美しさ=お金ではないと思いますが、お金を使わないと到達出来ない美しさもあらゆる意味であります。例えば高価な歌舞伎用のメイク用品であったり、衣裳の布であったり、音を綺麗に飛ばすスピーカーであったり、単純に「人」を雇うお金etc…そういった選択肢もちゃんと知ってる作家・演出家で在りたいです。勿論、美しい演出技法とか構成論とかも必要です。

何をもって「美しさ」とするか…って点もありますけどね。私は一般論を言いたいんじゃなくて、私が思う美しさを追求したいだけ。ぼくが考えたさいきょーの芝居を作りたいって感じ。「芝居」の追求は、果てしないです。ほんとに。

他人から見たら、私の芝居は何が良いのか分からないかもだし、美しいなんて思わないかもだけど、私は私の芝居が私にとって「美しい」と信じて作ってるよ。それを万人に伝えられるくらい、私のパワーがもっと強くなればいいのだけど。そこら辺はこれからもっと培っていくゾイ。お楽しみにね。

 

作中でも何度かそれっぽいこと言ってるけど、「綺麗」と「汚い」は共にあるから「美しさ」ってのは生まれてくると思ってる…勝手に。シェイクスピア先生も言ってたやんけ!(魔女)

『常花非人』は美と醜の象徴、『氷雨丸』という作品自体が美しさと穢(きたな)さのイコン。

作家とか演出家とかやってるからかもだけど、私は「言葉の力」というものをよく意識する。言葉の力は私に成功を運んでくれる、便利なツールでもあるし、同時にいつでも私を蝕む恐ろしいものだ。

特に「正論」というものは恐ろしい。正論とか、綺麗な言葉というものは、「その文章を口ずさんでいるだけで、自分も正しいとか、綺麗だとか、思いがちだ」。

例えば「人間を傷つけてはいけません」って言葉や概念は正しい。でもそれを言ってるソイツはじゃあ、人間を傷つけてないのか?って話で。その言葉を言っただけで、自分がそういう人間になれていると思っちゃう人間が嫌いなんだよな。それはおそらく無意識で、つまり言葉の魔力に呑まれているように私は見える。

発言というものは義務だったり、仕事だったりするけど、それをきちんと理解して言っててほしい所ではある。言葉に酔うな、って話で。まぁ、自戒の意味もあるけど。

汚い言葉を言えばその人は汚い人間なのか?と思うし、逆に綺麗な言葉を言ってればそいつは綺麗な人間なのか?という話で、私はそこに潜む「言葉の魔力」が昔から、恐ろしいし、その言葉の魔力に気付かない人間が嫌です。ポジティヴは正義か?ネガティヴは悪か?といった話で。そうじゃなくて、もっと本質を、もっと人間の深い部分を、私は知りたいし感じたいし、描きたい。自分を疑え、自分を疑え、自分を疑え!

だから、美しいと言われている言葉だけで世界を描きたくない。美しいものだけ描いて世界を完結させたくない。(自分が作るものは、って話ね!)

散々言葉の魔力に呑まれるな、って言ってるけど、言葉の魔力にどっぷり呑まれているのは私も同じなんですけどね。私が言葉を発しているのか、言葉が私を使って「発された」のか、正直な所もうわからないですよ。同族嫌悪。

でも曖昧な境界線の中、私は私から溢れてくる文章を書き続けて作品を上演し続けている。

 

人間の本質を教えて。

 

 

●暴力が赦された世界で人は人に暴力を振るうのか?

「暴力」という行動や概念についてよく考えます。人が人を殴る、また殴らずとも、人が人を精神的に追い詰める。とか。

表題の「暴力が赦された世界で人は人に暴力を振るうのか?」について、これについてはもう歴史を紐解けば、「せやろなぁ」って結論に至っちゃうんですよね。戦争とか、穢多非人とか、スタンフォードの監獄実験とかね。これらのワードとか概念は、『氷雨丸』でも多くモチーフにしたけど。人は立場とか役割を得ると、そのように振る舞っちゃうからなぁ。私も立場とか役割を演じるのが好きだし、というか演劇に関わってる人は、それがキャストであれスタッフであれ観客であれ、みんな演じるのが好きだよね。演じるのは楽しいよね、でもその魔性に呑み込まれた先にあるのは闇だぜ。って話で、でも闇は人間にとって心地が良すぎる、ベッドの上に寝転がった時に部屋一面に広がる、静かで真っ暗な空間のように。みたいなイメージをバーッと脳内で勝手に描いてる。(私もまた闇を生み出すことを生業にしている人間なのだ、ベッドの上で感じる静かな暗闇こそ私が生み出すものの本質なのだ)

今作では、麗しい青年たちに「祈り」を捧げて自らの穢れを移すことが出来る、架空の地『常花新地』というものを描いたけど。『常花新地』は架空だけど、「常花新地みたいなもの」は実在してたし、今でも実在してるんですよね。

私は歴史とか、社会の成り立ちとか勉強するのが好き。勉強するのが好き、ってだけで、知識として蓄積出来てるものは少ないかもだけど。まぁ趣味みたいな軽いモノ。。

時代に「最先端」なんて無いんだぞって最近よく思う。人は技術を手に入れても、最先端の倫理観を全人類が持てるワケじゃないって話。今の私たちが感じ取れない感覚を、すぐ隣の国では持っていたりする。時代感覚の差が、すぐ隣で発覚したりすると、私はゾクゾクするのです。今自分が二本の足で立っている地が、本当は明日にでも崩れるかもしれない脆いものかもしれないと想像すると、頭の中に色々なイメージがわき上がるのです。「もしも~」とかを想像すると、物語が頭の中で生まれるのです。

私の脳内だと、未来に向かえば向かうほど、時代は逆行していくんじゃないかなって思ってるんです。それを表現してるのが、レティクル東京座の過去公演『アイドル♂怪盗レオノワール(東京)』『皇宮陰陽師アノハ(京都)』『氷雨丸 -常花の青年遊廓-(東北)』という同時代・別地域の三部作なんですけど。

にわかなんだけど、ファッションもぐるぐるサイクルを廻るらしいじゃないですか。それと同じ。

でも、時代は逆行するけど、今まで積み重ねてきた歴史や技術や概念があるから、「進化する逆行」っていう矛盾は抱えると思う。退化しながらも時代は進むから進化はしてるっていうね。そう考えるとやはり「サイクルを廻る」って概念が一番近いんかしらね、進化しながら。そういう意味も込めて、クルクル風車が廻る、っていうワードとか、土地とかは、『氷雨丸』にはピッタリだったんです。

 

●クルクル風車が廻る(謳う)

お芝居の話でいうと、個人的な雑感ですが、回想が挟まりすぎる舞台は、なかなか難しいんです。お客さんが混乱しちゃいますし、ストーリーの流れもグチャグチャになりますからね。でも、『氷雨丸』ではいっぱい回想を間に入れまくりました。上演時間が3時間とか貰えたなら、本当はもっともっと回想とか入れたかった。。

それは『氷雨丸』自体が、クルクル廻る風車のように、過去→現在→未来に繋がる物語ってテーマにしようと決めてたのもあったし、「因果応報」を示したかったからというのもある。過去の行動が現在に作用して未来に繋がる、って構図が好きで。余殃(よおう)、かな。それが冀望であれ、絶望であれ。だから、演劇的には(個人的には)回想が多い舞台って作り方が難しいなと思ってるんですが、今作では敢えてガンガン入れました。上手く表現しよう、って気持ちも勿論ちゃんとあるし、気は遣いましたが、それよりも、表現の手段として挑戦したかった。舞台は、スタンダードに・マイルドに表現しようと思えば、そのように何処までも出来るんです。でもその中に、一部分トリッキーな表現を入れることが、その作品だけが持つ「苦み」になる。「苦み」がある舞台は、私は好きです。あなたの口に合うかは、わからないけど。 白塗りはトリッキー要素じゃないよ。スタンダードな美しさ表現のためのツールだよ。

 

 

他愛も無い話、無限に延々と語れてしまう説。

ここからは、ほんと、『氷雨丸』の創作メモのこと書こう!!箇条書きっぽく!

 

www.confetti-web.com

●↑カンフェティのインタビューでも語ったけど、主人公の伊達氷雨丸は女性。普段、あまり性別の概念とか語らないけど、あと劇中では特に触れてなかったけど、今回は敢えて性別を固定してみました。何でかっていうと、「男女逆転アンビバレンス執着綺劇」だったから…もっとかみ砕いて言うと、物語のテーマが、「男たる自分を捨てた清ら」がもう一度「男たる自分を取り戻す物語」だったから。この場合の「男たる」って、難しいけど。一般的な概念ではない…つもり。つまり、男が男であるための矜持…ですかね。そこまで行くと男とか女とか(自分の中では)関係無くなるんですけどね。つまり、人間であること、人間であるための尊厳を取り戻す、的な。

古来より、色々な演劇で、性別が逆転している者は劇の途中でよく、選ばなかった性別の姿になります。(『ラ・カージュ・オ・フォール』とかね) そこからまた戻ったり、戻らなかったり、するけど。そのカタルシスが、私は好きなんですよね。最初から男性が男性の格好してるより、最初に男性らしくない格好をしている→男性の格好になる、の方がやっぱ衝撃が強いから。

そこから考えると、清らが最後に男の姿になるのは、演劇としては、言葉はマイナスに聞こえるかもだけど(実際マイナスのつもりはないけどね)「予定調和」なんですよね。神が物語を必ずそう紡ぐように。定められた結末のように私はこの話を思いついた時感じた。

その結末を考えると、氷雨丸は女性の方がいいなと。勿論、上記↑で、氷雨丸とセラフィーマは男性でも成り立つって書いたから、男性でもいいけど。そこはもう、「そこから何を描きたいか」かなぁ…と。

まぁでも、物語の提示としては、氷雨丸とか清らの性別とかは、どーだっていいんです。二人がどう生きてくかってだけなので。だから、好きに捉えてくれればいいと思います。そこはもうお客さんの性癖に任せます。

 

箇条書きって言ってたのに箇条書きになってないやんけ!!!長いよ!

 

●物語としては、全員、性別とか関係なく、お互いの尊厳やエゴを貫く物語。誰も折れない。だからエゴを貫ける人と、エゴを折られる人が出る。全員が手を繋いで幸せになる世界は、私はどの作品でも描かない。ありえないと思ってるから。リアルじゃないと思うから。物語だから、架空の話だから、リアルにこだわらず、皆が幸せになれればいいと思うかもだけど、やっぱり今の自分の、若くギラギラした感性だと描けないんです…もっと私が歳をとったら変わるのかもしれない。今の若い感性は、今しか存在しないから、移り変わっていく(かもしれない)私の人生を丸ごと楽しんでください。

氷雨丸⇔清ら⇔煌びやの独自の関係を描きたかった。極論、煌びやが死ななければ、清らと煌びやの関係はずっと続いたと思います。二人の関係というのは、色々お客さんの好きに捉えてほしいので、言葉として明言はしませんが。「あなたは私の、全て」って言う関係かな。でも二人(二本)は『常花非人』だったので、死が二人(二本)を引き裂く。これは個人的感覚だけど、「死」って、しんどい。想い出す悲しさよりも、忘れていく怖さの方が勝る気がする。人間が一番最初に忘れるのは「声」らしい。

物語の序盤、氷雨丸に出逢う前の清らを支配していたのは、「置いて行かれる寂しさ・虚しさ」。煌びやが何処までも連れて行ってくれると思ってたけど、そうならなかった。以降、連れて行って貰える期待を誰かに託して、それが叶わなくて、でもまた期待してしまう、そのきっかけが「今を生きている氷雨丸」。死者と生者のパワーの差はすごい。過去と未来のパワーの差。物語では、清らは氷雨丸と一緒に今を駆け抜けて未来へ行くけど、でも煌びやが居てこそそのバトンは繋がったので…清らにとってどっちがどうとかは、あまり無いんじゃないかな。。ってイメージ。でも、今作を作るにあたって、現場で「煌びやの元カレ感がほしい」とは言ってた。厳密に言うと元カレではないんですが。。(?)

煌びやが生きてる世界線の學パロとかで煌びやと清らと氷雨丸が並んでる図とかほしいですね。何言ってんだ?

氷雨丸學パロ説、実は劇団員同士でちょっと盛り上がっていた。その時のワード⇒「転校生・氷雨丸」「理事長・セラフィーマ」「常花非人は生徒会(通称:innocent boys)」「前生徒会長の煌びや兄様」「保健室にいるスピネル」「新聞部の犀鳥と家鴨子」etc etc……君だけの氷雨丸學パロを作ろう!!!!(?)

●清らがセラフィーマの刀を舐めるシーンは、当初は全く頭の中には存在しなかったシーン。書いていくうちに、自然とそうなった。台本を書いてる時、考えて書いてる時と、考えないで自然と指が動いて文字が綴られていく瞬間があるけど、完全に後者の時に生まれた。でも、そのシーンに向かって指が勝手に動いていく中で、「ヤバイヤバイヤバイ、やばいシーン思いついたかも、ヤバいシーン生まれるかも、ヤバイヤバイヤバイ」ってかなり、衝動的に、情熱的に書いてた。ヤバいシーン、生まれてきましたか?

●あの刀の中、煌びやが眠ってるので、清らって煌びや舐めてるんですよね(?)

●台本は、意識と無意識の狭間で生まれるものだから、パンドラの箱なんですよね。何が入ってるのかは、実際に公演の幕が開くまで・幕が閉じるまで、自分でもあまり分かんなかったりする。

●「参拝客」のそれぞれの『常花非人』への態度や反応・言動は、自分に馴染みが深い、『演劇における観客と演者の関係性』をモチーフにしています。あなたはどの「参拝客」タイプですか?

●物語の第一声とか、一番最初のシーンというのは、毎回ものすごくこだわりますし、考えます。どのシーンも勿論深く考えますが、最初のワードは、一層。なんと今作は、ボロボロの衣裳を身に纏った清らの「……え?」これはねぇ多分劇団史上、初めてだったかと思います。笑

煌びやの台詞を聞き返す、といったニュアンスの言葉。今作の最初の台詞は「……え?」だけど、本当の意味での最初の『ワード』は、台本に描かれていない、台本外の、清らの「……え?」の前の煌びやの台詞、「私たちには、傀儡(かいらい)の才能がある」。この一文は、今作の裏テーマでもあります。(表のメインテーマは、キャッチコピーにもある「冀望」…もうちょっと詳しく書くと、劇中曲の歌詞にもある「犠牲、救い、冀望、私」)まぁでも、私は一作にものすごい量の情報とかテーマとか象徴とか暗喩とか込めるのが好きなので、他にも色々あるけど。

 

●全然関係ないけど、『常花非人』の数え方は「一本、二本…」といったように、単位は「人」ではなく「本」。これは人に非(あら)ずというのを表している。ここからはメタ的な話だけど、『常花非人』が「女性」という設定だったら、数え方は「一輪、二輪…」にしてた気がする。「男性」だから、「一本、二本…」にしたのかな…無意識に…。深い意味はないです。

●35名、どのキャストも、本当に頼もしい良い人々でした。一人ずつ、長々気持ちを語れるんだけど、恥ずかしいので、いずれまた会えたら本人に伝えますね。なお

 

 

繋がる世界の話

レティクル東京座の作品は、単体でも楽しめますが、微妙に繋がる要素を最近の作品には入れてます。『氷雨丸』をきっかけに、興味を持って頂けると嬉しいな…!でもまだ描いてない話もいっぱいあるので、此処からゆっくり見守ってくださるのでも嬉しい!

 

「母」たる海

レティクル東京座っていうか赤星作品の概念として、宇宙には「父」たる宇宙(そら)が、海には「母」たる海が居ます?在ります? 何言ってんだ?

虚無から宇宙が生まれ宇宙から星が生まれ星からファントムって妖精が生まれたんだよって説明してるのが2017年に上演されたL<ライト>エンタメ公演『アイドル♂怪盗レオノワール』で、「母」たる海は明確にはまだ描いてないけど、海の底には都があって、時折死者が生き返る(?)んですよ…何言ってんだ? 

とにかく、レティクル東京座の作品において「海に沈んだヒト」は不気味な意味を持つって感じです。でもまだここら辺詳しく描いてないんで…今後にご期待ください!

わー!『アイドル♂怪盗レオノワール』のバクステOPだー!(ステマ

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●天子・裏天子

氷雨丸』の1個前の公演、2017年に上演したN<ニュートラル>エンタメ公演『皇宮陰陽師アノハ』で、裏天子・琥珀が話してた、先代・皇后陛下の話とか、元になった遺伝子の話とかが出てます。琥珀の遺伝子上の息子・今上天皇/天子(大瑠璃陛下)がヒロインをやってる話です。何言ってんだ?

わー!前回公演『皇宮陰陽師アノハ』のOPだー!(ステマ

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琥珀は、遺伝子上は、前回公演の「大瑠璃陛下・朱鷺皇子」の父親にあたるけど、琥珀琥珀として生まれてきてるので、=父親ではないんですよね。遺伝子だけ父親と同じ。でも、琥珀は作中で唯一、「個」を認められず、「血・遺伝子」を運ぶ器として扱われます。「個」を取り戻そうと足掻く他の登場人物とは正反対に、逆行して、「個」ではないところに自分の意味を見出し帰着する。そんな異分子として、表現出来てたらいいなあ。

ちなみに『氷雨丸』に出てた「琥珀」は、『皇宮陰陽師アノハ』って作品で京都から追放された今上天皇・大瑠璃陛下の遠戚の皇女「きらら」といずれ何処かで出逢う予定です、いつかの話。だから「琥珀」の名前は「きらら」にちなんで、石の名前にしたくて、そこから「裏天子機構」の人々の偽名も石にちなんだものに。『皇宮陰陽師アノハ』に登場した大瑠璃陛下のテーマカラーが青、朱鷺皇子のテーマカラーが赤、なので琥珀のテーマカラーは黄。「琥珀」は中に「過去の生き物」を閉じ込めて「未来」に運ぶ石、的な意味合いも込めてたり。

 

『アイドル♂怪盗レオノワール』『皇宮陰陽師アノハ』『氷雨丸 -常花の青年遊廓-』どれも同時代・別地域の話ですが、どの作品も作品同士で皮肉たっぷりです。

「東京で皆が楽しくやってる…一方その頃東北は!!」とか「東北の民が苦しんでいる…一方その頃京都では!!」みたいな。三作品、続きモノじゃないので、単体でも全然楽しめますが、微妙に繋がってるので興味ありましたら是非!

 

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●ローシャ連邦帝國

今作では徳川セラフィーマとその配下の者、そしてセラフィーマの異母姉・リュドミーラ(ラブラドライト)と配下の者が出てきたけど、とにかくキョウダイがわんさか居て、父親である皇帝・アガフォン二世(リュドミーラの電話の相手)の命を受けて、次期皇位継承の為にキョウダイで我先に戦果をあげようと争っている。日本はそれに巻き込まれている。ローシャにも広大な世界が広がっている。第五皇子とかも居る。

前回公演『皇宮陰陽師アノハ』では皇族同士で争い合う兄弟を描いたけど、日本もローシャもやってることは同じ。「人種など関係なく…」抱える問題は誰しも一緒。

●あの世

煌びやが「この世は地獄ぞ、あの世は無」って言ってて、何度か赤星作品では「あの世には何もない」って言ってる人が居るけど、実は「あの世」にも世界は広がっている。でも普通の人には感じ取れない領域の話なので。。結果として「無」なのかなといったイメージ。認識外のことは、存在していないのと同じだから。いつか「あの世」の話を書きたいな。それはオリジナル作品としてだけど、それとは別に、歴代の作品で死んだキャラクタァとかが、あの世でクロスオーバーしてたら面白いだろうな。面白いか?(自問自答)

●旅に出る者たち

世界は広いから、何処かで誰かが出逢ったら素敵ですね。

上でも行ったけど、『氷雨丸』の「琥珀」は『皇宮陰陽師アノハ』の「きらら」といずれ出逢うし、南に向かった氷雨丸・清らは東京とか京都にもいずれ行くのかも。東北を出た『氷雨丸』の犀鳥と家鴨子は、いずれ京都から出た『皇宮陰陽師アノハ』の蘆屋ホクト(密やと似ている)と出逢うかも。中の人が一緒で面白い

 

何度も言うけど、作品は続きモノじゃないから、単体でも全然楽しめます。

氷雨丸 -常花の青年遊廓-』がまた新しくバトンを繋いでいきます。

またこのバトンが誰かに渡される世界で会いましょう。

 

★『氷雨丸』キャラクタァ、名前の由来・造語の由来とか

伊達氷雨丸→伊達は侍。氷雨丸は氷雨、冬の冷たい雨。東北のどんよりとした空気に似合う主人公になるようなイメージで。ちなみに清らがつけるあだ名「ひぃさま」は氷雨丸から取ってるけど、言葉遊びのダブルミーニングで、「お姫様」の意味もある。清らは氷雨丸を「私の彦星」とも言うけど、氷雨丸と清らが、お互いにとってのお姫様であり王子様でもあるって関係性を表したいなと思って。どちらもお互いがお姫様で王子様。素敵やん(自己完結)

清ら・密や・朗ら・鮮や・安ら・煌びや→偽名。~か、とかが付く品詞より。品詞の一部分を喪失しているイメージ。=あらゆる「か」をセラフィーマに捧げている。

???「贅沢な名だねぇ」

煌びやだけ先輩なので、言葉遊びとして、一字多くしてます。煌、バラすと、火の皇っていう言葉遊びも。「祓」の儀の準備を!

清らの本名→ナシ。皆、好きに呼ぶ…。過去も今も白紙。これから白い紙に何を描く?

密やの本名→上杉君景。慶長出羽合戦の上杉景勝から。君景は、君で「あなたの」とか、景で「景色・日陰」とか。君影草(スズラン)とか。花言葉は「再び幸せが訪れる」

朗らの本名→シュマリ。遥か北のエミシ(アイヌ)の言葉で狐。

鮮やの芸名→カラス。姦しい人とか、吉鳥とか凶鳥とか(矛盾を抱える者)。本名は謎。

安らの本名→ハツカ。薄荷(ハッカ)から。チョウジ・棗と香辛料トリオ的な。花言葉は「迷いから覚める」「私たちは再び友だちになろう」とか。

煌びやの本名→劇中で明記ナシ。過去も明かしてません。『氷雨丸』が一幕・二幕・途中休憩アリで上演時間が3時間半になったら描きたいな。。

徳川セラフィーマ→徳川は将軍。セラフィーマは熾天使セラフィムより。燃え盛る「天使」。対立する「天子」「裏天子」とちょっとした言葉遊び。

ミハイル=バラバノフ大佐→ミハイルはミカエル、天使繋がり。バラバノフはローシャ(ロシア)名字。

ラトキン・メレフ→ローシャ(ロシア)名字。

琥珀・桃簾・月長・黒曜・ラブラドライト・スピネル→宝石とか石の名前。上でも書いたけど、『皇宮陰陽師アノハ』の「きらら皇女」と琥珀が未来で繋がりを持つので、全員統一で宝石とか石とかのモチーフ。「琥珀」は中に「過去の生き物」を閉じ込めて「未来」に運ぶ石、作中だと「過去から遺伝子を未来へ運ぶ存在」的な意味合いも込めてたり。
帰命法師・久遠法師→両方とも仏教用語より。帰命は「仏の救いを信じ、仏の教えに従うこと」、久遠は「遠い過去・未来、永遠」とか。

森羅・万象→そのまま「森羅万象」って言葉より。宇宙に存在する全て。
千子鉄硯斎・磨穿→「磨穿鉄硯」より。強い意志を持ち続け、物事を達成するまで気持ちを変えないこと。千子は千子村正(せんじむらまさ)より。徳川に災いを運ぶ妖刀を作る者、みたいな。
ウシロメ・テノメ→「後ろ目」「手の目」という妖怪より。後ろに目があったり、手に目があったり…不気味さとか、普通の人間が視えないものが視える的な意味合いを持たせたかった。
最上伯爵→慶長出羽合戦の最上義光から。上杉との確執。「伯爵」ってワードが華族制度の中で何故か一番かっこいいと思う。思いませんか?
さらさ→更紗(さらさ)、花などの模様を染め付けた美しい布。更紗の模様って可愛いのに力強くて好き。そんな女性に…なってほしいなって…色…。
犀鳥・飛鳥(犀鳥の本名)・家鴨子→鳥関連の言葉。「サイチョウ」「アヒル」。飛鳥は飛ぶ鳥。「鳥」は『氷雨丸』って作品では結構重要なモチーフで、人間が地上であーだこーだゴチャゴチャやっている中でも、「鳥」は自由に飛んでいくんだなぁ、「アオサギという渡り鳥」も、國から國へ飛んでいくんだなぁ、「鳥」には「鳥」のしがらみもあるんだろうけど。みたいな。

チョウジ・棗→ハツカの項目でも明記したけど、香辛料モチーフ。チョウジの花言葉は「尊厳」、ナツメの花言葉は「あなたの存在は私の悩みを軽くします」とか。

ヒグラシ・ササキリ・カイコ・ナガメ→虫モチーフ。花や植物に群がるものたち。

 

◆『常花非人(じょうかひにん)』…「常花」は仏壇などに供えられる、蓮の花を象った金色の造花。「供えもの」「永久に枯れぬ花(=永遠の象徴、つまり俗世(人間界)を捨てたもの)」としての意味合い。「非人」は「穢多非人」、アウトカーストの存在、被差別民といったモチーフ。ちなみに仏教用語としての「非人」は人間に対して「それ以外のモノ」=「天界に住むもの」「龍」など。人に非(あら)ず、といったシンプルなテーマ。これらを全て掛け合わせた造語。『常花新地』はそれらが居る・在る、新しく拓かれた土地。「新地」は「遊廓モノ」ではおなじみの場所・ワード。

蓮の花は「聖性」「清らかさ」の象徴。『蓮は泥より出でて泥に染まらず』という漢文も作品のモチーフにしてる。それとは別に、蓮は「綺麗な水の中では小さくしか咲けず、水がドロドロに汚れていればいるほど大きく立派な花を咲かせる」という特性を持っているらしい。このことから、『常花非人』には「穢れ」を溜め込み『曼珠沙華』という大輪を咲かせるイメージと、反対に、どんな苦境でも「聖性」「清らかさ」を保ち続けるイメージと、両方を、観た人が抱けるように描きたかった。何度も言ってるけど、綺麗は汚い、汚いは綺麗!

蓮の花言葉は「清らかな心」「神聖」「離れゆく愛」「救ってください」など。

 

◆『曼殊沙華(かんじゅしゃか)』曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の別の読み方より。常花非人が淡い色の「花(蓮)」イメージなら、曼珠沙華は毒々しい「華(曼珠沙華)」のイメージ。淡い色合いの花がビビッドな色・毒にじわじわと浸食されていくようなイメージ。あとは、「シャカ」という語感を含んでいることで、見た目はおどろおどろしいのに、相反するような「神々しさ」みたいな印象も与えたかった。

曼珠沙華』はサンスクリット語で「天界に咲く花」を意味するとか。同じく「天界に咲く花」である『常花』と意味を被せつつ、全く違うイメージが抱けたらいいなと。別名:死人花・地獄花・捨て子花 ・幽霊花・蛇花…など、「不吉」「不気味」だったり「死」だったりをイメージしやすい名前にしたいなとも思ってた。

曼珠沙華花言葉は「情熱」「諦め」「転生」「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」など。

 

◆『テイネポクナモシリノチュー』…「何て?」でお馴染みの氷雨丸の刀の類名。あまりにもマイナーだったり最早伝承の中の存在だったりで、刀にめっちゃ詳しい千子鉄硯斎しか知らない。という設定。アイヌ語で「地獄の星」という意味。「テイネポクナモシリ」は此処まで堕ちるともう「生まれ変わることは出来ない」とされるおそろしい地…だとか。パッと聞いて「何て?」って語感にしたかったのと、作品自体が「極楽と地獄」をテーマにしてるのでっていうのと、それに付随して清らが『極楽』側の者であるのに対して、主人公の氷雨丸は『地獄』側の者にしたかったというか、立ち位置が『極楽』『地獄』だった者たちが引き合って『俗世・人間界』で生きていく…みたいなイメージ。星は、まぁレティクル東京座自体がレティクル座っていう星をモチーフにした劇団名なので、「星」は我々にとって重要なモチーフなんだよっていう至極シンプルな理由と、プラスして、主人公の立ち位置がOPの歌詞でもちょっと書いたけど「破局の流星」なので。「現状を破壊する流れ星のような存在」が持つ武器なので。

実は作中であまり素性が語られてない刀。というか、実は主人公の氷雨丸の素性もあまり語ってません。作中でぼんやり触れたけど、「氷雨丸」は「その身に矛盾を宿すもの」「どちらにも属せないもの」「オイには何にもねェからさ」ということで、『遥か北のエミシ』出身で、ローシャ人とエミシの民(多分厳密に言えば純エミシの民じゃないだろう)の混血で、しかし名前は日本名、エミシの刀を持たされ、エミシと日本のテイストが混ざった衣服を着ている…と実はかなりカオスな存在。日本が~とかローシャが~とかゴチャゴチャやってる中で、「出身のアイデンティティを持たない者」というモチーフのキャラクタァでした。

氷雨丸 -常花の青年遊廓-』は『氷雨丸シリーズ』のエピソード0みたいなものなので、きっと今後続編があれば少しずつ氷雨丸自身のこととかテイネポクナモシリノチューのこととか語られるだろう……とかふわっと言ってるけど、氷雨丸は故郷を離れて旅に出てしまったし、「氷雨丸自身の過去には何も無い」「氷雨丸は今を生きている」ので、きっとそんな語られないだろう。解散!『氷雨丸シリーズ』とかいう未来にあるのかないのか分からないシリーズ。そんなものはない。(ある)(いつかやりたいと思ってはいる)(※なお)

 

 

 唐突にキャラクタァの年齢を並べます~~~。

 

30代後半→最上伯爵

30代前半→桃簾

20代後半→帰命法師、久遠法師、密や、月長、ラトキン中尉、ラブラドライト、千子鉄硯斎、ウシロメ、カイコ、煌びや(享年)

20代半ば→伊達氷雨丸、清ら、犀鳥、ミハイル=バラバノフ大佐、黒曜、スピネル、さらさ、ナガメ

20代前半→徳川セラフィーマ、鮮や、安ら、チョウジ、家鴨子、磨穿、ササキリ

10代後半→朗ら、メレフ少尉、森羅、万象、棗

10代半ば→琥珀(設定的には14歳・多分今年15歳になるとかそんな感じ)、テノメ、ヒグラシ

 

設定上ではざっとこんな感じでした!設定年齢が分かると『氷雨丸』がまた違った趣きになる…かもしれない…。

 

★劇中曲の歌詞のお話

劇中のオリジナル曲は、赤星が作詞したりタイトルを決めたりしています。

劇中曲から見る『氷雨丸』の話は…また今度!!ツイキャスとかで!!なお

 

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そんなこんなでこの文章は2018年6月からチマチマ書き続けて今こんな感じ。

今夜からもう次回公演『電脳演形キャステット』始まっちゃうよ。 

ヒェ~~~

俺はなぜ…こんな時間にブログを……ウッッ

 

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氷雨丸』のDVDとBlu-rayも劇場で販売してるから、買ってね!!!!!!(物理)

 

 

 『電脳演形キャステット』ゲネプロ行ってきま~~~~す!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(物理)

 

 

 

by.赤星ユウ

 

 

2017年振り返りからの2018年の告知だよぉ!

皆さんこんにちは。

赤星です。

 

2017年の振り返りブログなんてものをやろうと思ってたら年明けちゃった。ハッハッハ

あとコッペリオネッタ記事も書こうと思ってたし前に貰った52いいね分の好きなもの並べたブログも書こうと思ってたしアノハ記事で書き忘れたアノハ劇中曲についての文章も書こうと思ってたけど年明けちゃった。アッハッハ

 

ひとまず2017年をまとめてみようと思います。

 

2017年は自分的には飛躍の年でしたねー。環境が良い意味でガラッと変わった気がします。というのも、2016年にこのまま永遠に囚われたままなんじゃないかと錯覚するほど長い時間通ってた大学を卒業して(ウッッッ頭がッッッ)

晴れて演劇にひたすら打ち込んだ一年になりました。

 

 

2017年

2月

レティクル東京座 L<ライト>エンタメ公演『アイドル♂怪盗レオノワール』

シアターグリーン BIG TREE THEATER

脚本/演出/作詞、担当

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(撮影:渡邊圭)

劇団結成五周年の節目の公演でした。

上演時間:1時間45分程。

この公演から今までのナンバリング(vol.8とか)を廃止して、L<ライト>・N<ニュートラル>・D<ダーク>という三つの作風を冠することにしたんですよね。

ていうかレオノワールって2017年の作品なのか…もう五年くらい前の作品だと思います(歪む時空)

冴えないチビの青年、獅子丸カナメは宇宙の妖精、ファントム・ゼクスのチカラを使い長身のイケメン、アイドル♂怪盗レオノワールに変身するのだ!!みたいな話でした。

 

この公演から劇場が大きくなり、席は自由席から指定席に、などなど公演形態も変わっていき運営のスタンスも変化していったので、個人的に思い出深い公演です。五周年にピッタリな演目だったんじゃないでしょうか。こなみ

 

6月

末安陸一人芝居企画『女装に目覚めた青年を覗き観る。』

@Gallery & Space しあん

脚本/演出、担当

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(撮影:飯田奈海)

初一人芝居!初劇場以外での公演!(古民家でした)

青年が女装に目覚めてひたすら女装していく90分間の一人芝居でした。女装といってもアレです、完全に男が女になる女装ではなくて、あくまで男性が女性の服を着ているだけっていう方向性の女装。ここが大事なポイントなんです。

大人数のエンタメ芝居しかやってこなかったので…少人数の静かな芝居もやるゾ~って思ってやった公演でした。

 

9月

レティクル東京座 N<ニュートラル>エンタメ公演『皇宮陰陽師アノハ』

シアターグリーンBIG TREE THEATER

脚本/演出/作詞、担当

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(撮影:渡邊圭)

久々に年2回レティクル東京座やりました。

上演時間:2時間10分程。

L<ライト>が歌多めの明快ドカーン!な作風で、D<ダーク>が歌少なめのシックでシリアスな作風で、そのどちらにも当てはまらない変幻自在な公演がN<ニュートラル>なんですけど、だからこそ型が無くて実現化させるのが大変だった!今(2018年1月現在)D<ダーク>エンタメ公演の企画を進めてるんだけど、D<ダーク>を書いて強く思ったのが、『皇宮陰陽師アノハ』はやっぱりN<ニュートラル>エンタメ公演だったんだなと。

第三次世界大戦に大敗して百年後、首都が京都に移った日本で天皇家の威信復活の為に皇宮の泥沼と戦う、浪人・不破ウシオと皇宮陰陽師・安倍アノハのお話です。

 

実は2月に上演した『アイドル♂怪盗レオノワール』と同年代・別地域のお話でした。向こうが東京で楽しくやってる頃、一方京都は!!みたいな。あと2016年3月に上演した『昴のテルミニロード』の数百年前の話です。

元々、2012年の旗揚げの頃とかは別作品をリンクさせたりとかしてたんですよね。でも、やっぱり当時は効果的じゃないなと思って、一時期止めてて。最近、劇団の基盤が固まってきたのと、ありがたいことに劇団のファンの方も増えたので、今なら別作品リンクっていうのも出来るかなと思い、再開させました。

固定のメンバーと固定の母体がある劇団ならではの創作形態だと思います。作品単体でも楽しめるし、別作品を知ってる人は尚楽しめる、そんな作品づくりを目指してます。

大きな紙に少しずつ世界を描いていくような贅沢さを一緒に楽しんで頂ければ。

 

11月

MOSAIC.WAV Re:1st LIVE「We Live AKIBA-POP!!」(ゲスト:夢眠ねむ根本凪、小鳩りあ)

@初台DOORS 

構成・演出、担当

f:id:ich888yu:20180101034011j:plain11月

山本ラ・フランス

構成・演出、担当f:id:ich888yu:20180101034156j:plain

(撮影:MAXGAIA)

なんと2017年は演劇以外のお仕事…音楽ライブの構成や演出も担当させて頂きました!演劇がきっかけで頂いたお仕事ですが、とにかく演劇ではないジャンルに触れることは刺激的でした。ジャンルも全然違って面白かった…。

MOSAIC.WAVさんのライブではMOSAIC.WAVの楽曲に登場する個性的でキュートなキャラクターたち(リスク・ふぉるしぃ・ツンデロイド)の幕間劇を書き下ろさせて頂きました。

山本ラ・フランスでは聖書に登場する「アブラハムの子(イサク・ジムラン・ヨクシャン・メダン・ミディアン・イシュバク・シュア)」をモチーフとしたキャラクターや設定を書き下ろさせて頂きました。

 

11月

ウィズステージ Vol.4『結ひの忍』

@六行会ホール

脚本協力、担当

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2.5次元舞台の脚本協力を担当させて頂きました。

個性豊かで魅力的なキャラクターたちの彩りを、より鮮明に舞台上にお届け出来ていたら幸いです。

 

12月

「赤星ユウ・杉澤香織展」

@サイト青山

個展

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2014年からずっと一緒に組んでいる衣裳家・杉澤香織さんとの初めての個展でした。

レティクル東京座関連のものも飾りつつ、お互いの個人的な活動のお披露目(?)の場でもありました。とてもゆったりとした時間の中、訪れたお客さんとゆっくりとお話出来たのが楽しかったですね。それと、杉澤さんと穏やかな時間の中、ぽつぽつ言葉を交わすのも心地良かった。何だかんだ付き合い長いけど、穏やかな中で話す瞬間って全然ないんだよね…演劇の現場はホラ…怒涛だからさぁ…会話の内容も普段はかなりビジネス寄りだし…。普段何考えてるとか、哲学めいたこととか、ぽつぽつ話せてよかったなぁ。杉澤さんの思考回路はめちゃくちゃ面白いんですよ…ぶっ飛んでるし…本当にすごい人です…。

個展の会場に飾ってあった杉澤さんの直筆メッセージの中で心にズガンと来た言葉がコチラ。↓(掲載許可済)

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いい言葉だなぁ……。

 

とにかく、初めての個展、楽しかった。

次は劇団結成十周年(2022年)の時にドガーンと大きく展示会やりたいね。歴代の衣裳とかポスターとか台本の一部とか写真とか特大パネルとか飾って映像とか一部流して…時々トークショーとかライブとか行うスペース?ステージ?があって…記念グッズがあって…もしカフェとか併設されてたらコラボメニューがある…夢のお話だ…。

 

12月

シミズアスナ×雨宮慎太朗◎二人芝居企画『コッペリオネッタ -ジーパラッドの供えもの-』

@近江楽堂(東京オペラシティ3F)

脚本/演出、担当

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(撮影:渡邊圭)

とても綺麗な会場でやらせて頂きました、60分間の二人芝居です。

人形少女・コッペリオネッタが、砂漠に供えられていた人間の青年・ティフォーネに「アンディーチェ」という神様の名前を一方的な勘違いにより与えられ、それを受け入れたことにより始まる二人の奇妙な生活の話。

コッペリオネッタについては詳しい記事を別であげようと思ってます!お待ちを!

 

 

そんなこんなで!ざっと赤星の2017年はこんな感じでした。

2016年までは大学(ウッッッ頭がッッッ)行きながら演劇活動してたのでどうしても劇団公演を年に1~2本やるだけだったのですが、2017年は本当に色々な現場でお仕事させて頂きました。演劇以外のことも挑戦出来たし、本当に飛躍の年だったなぁと。

でも、学生時代(ウッッッ頭がッッッ)も学生時代で充実してたんですよ、なんてったって腰を据えて「勉強」出来てたので…あらゆる「最先端」「最新」の知識だったり流行だったりが得られる時代だったんで…卒業後はどうしても自発的にそういうのを「勉強」しなくちゃいけなくて、これが結構大変だったりサボりがちだったりするんだ。どうしても「仕事」を優先させて、休息は「仕事」に向かう為に本当の意味で「休息」してたりするし。演劇は知識と感覚と経験で作るものだから(ていうか演劇以外の世の中の大抵のことも結構そんな感じだよね)とにかくアウトプットや外部からの刺激がないと作品は進化し得ない。進化しない作品づくりってのも贅沢の極みだなと思うけど、私は自分の作品が何処まで進化するのか見たい。

知識も経験も忘れていくし世の中は光の速さであらゆる常識が塗り替えられていくからさぁ。感覚は衰えていくものだし。全部を知ることは出来ないし全部を感じることは出来ないけど、物事に抗うこと・物事を受け入れることのバランスみたいなものは常に意識していたいなぁーなどと。とにかく、まず平和に日々を暮らすこと。そして自分の言葉が持つチカラを良き方へ使うこと。それが目下の「やるゾ~」ってことかな。僕らは理性によって生きることが出来る。

 

 

2018年、今のところ決定している赤星ユウのお仕事情報はコチラ!

 

2018年

2月8日(木)~12日(月)

@中目黒キンケロシアター

劇団わ本公演 『ボク達ノ革命』

演出、担当

HP▼http://www.wagumi.site/blog/2017/12/post-14.php

…脚本は菅野臣太朗さん(ミュージカル「忍たま乱太郎」、舞台「薄桜鬼SSL」、舞台「アンフェアな月」など)。

あらすじ▼

時は現代よりも遥か未来―――

昔、「日ノ本」と呼ばれていたかもしれない島国で、【友好と親善】をテーマとした国際的な祭典の準備が進められていた。

既に「安心安全の国」と銘打ったこの国は、 祭典モード一色で盛り上がっていた。               

そこへ、15年前のメルトダウン事故で国から見放された東海道地区で活動する革命団体「日輪草」が、

祭典中止を求める声明文を政府に送った。 

「臭い物に蓋をする我が国に抗議する!!

全てを認め露呈しなければ、祭典を強行阻止する!!」

同じ計画を立てていた「火車」「竜胆」「白百合」の3つの革命団体も、祭典中止の意向を申し立てる。 

【全てを認め露呈する】

それは、この国が「無きもの」にした、国民を苦しめた数々の問題の事だった。

ある島国でぶつかり合う正義と正義が、

ある島国に振り下ろされる愛のある拳に成り替わった時、

ある島国は今本当にやらなければいけない事に気付かされる。

これが、ボク達ノ革命...!

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…脚本を別の方が担当するのは初めてです。演出という側面から、作品に切り込んでいくのが今からとても楽しみです。稽古はもうすぐ開始!殺陣有り、ドラマ有りの熱い演目になると思います。是非お越しください!

 

2月12日(月)

@大阪・難波 フラミンゴ・ジ・アルーシャ

ジャパンポップカルチャーショー

紫電一閃(しでんいっせん)!パンドライズム

脚本・演出、担当

HP▼https://japanpopcultureshow.jimdo.com/

あらすじ▼

如何に文明が発展しようとも、光ある所に必ず影は生まれる。

眠らない国、日本。
漆黒の衣裳に身を包んだシスターと神父見習いは、とある一冊の本を手にして闇に佇む。

その本の名は“PANDORA”
古今東西あらゆる『魔』が封じられた絶対囚獄装置である!!

カオティックでアヴァンギャルドな一夜へようこそ!

日本×文化×混沌×黎明の、六十分間ボーダーレス奇天烈華劇!

…会場は大阪です!普段東京でしか演劇をやっていないので、東京を離れて演劇をすること自体がとても楽しみです!初めて続きが二連続だ~。

ジャパンポップカルチャーショーということで、日本の様々な「芸」を集めたカオティックな演目になると思います。それらを統括して、60分間の演劇(!?)にします。会場もライブレストランなので、美味しいものを食べたり飲んだりしながらゆったりとショーが観れます!是非大阪に遊びに来てください!

▼今演目に参加する大宰府まほろば衆さん(福岡県太宰府市の踊りの団体)の舞がすごいんです…衣裳もすごいんです…動画ペタッ。まほろば衆さんは勿論、参加者の皆様と一つの作品を作っていくのが今からとても楽しみです!

 

6月6日(水)~10日(日)

@新宿村LIVE

レティクル東京座 D<ダーク>エンタメ公演

氷雨丸 -常花の青年遊廓-(仮)』

脚本/演出/作詞、担当

HP▼http://reticletkz.jp/

あらすじ▼

本州最北端、クルクル風車廻りし荒れ果てた不可触(ふかしょく)の地には、
およそ似つかわしくない極楽の花街・常花新地(とこはなしんち)が存在する。
そこはローシャ連邦帝國・第十一皇女にして『最兇(さいきょう)』の名を
ほしいままにする非道な東北将軍・徳川セラフィーマが支配する、呪われた場所。
「選ばれし純血の日本人」たる麗しき青年『常花非人(じょうかひにん)』たちが
その身にあらゆる穢(けが)れを引き受け、やがて「祓(はらえ)」の儀のため
人身御供(ひとみごくう)として炎で焼かれる、恐ろしき祭壇領地であった。
中性的な雰囲気を持つ流浪の侍・伊達氷雨丸(だてのひさめまる)は
将軍と対立する穏やかな裏天子(うらてんし)・琥珀(こはく)に
空腹で行き倒れていたところを助けられ、
その見返りとして将軍の御膝下である常花新地へと潜り込まされる。
そこで儚くも美しき『常花非人』・清ら(きよら)に出会った氷雨丸は
燃えるような熱い夜を過ごし、常花新地が持つ魔性と闇に呑み込まれてゆく。
理性と慕情と愛欲の、境界線を融解する!男女逆転アンビバレンス執着綺劇!

…所属劇団の本公演です。最新作です。

絶賛出演者募集オーディション開催中なので興味ある方は是非。締切は1月4日(木)

出演者募集オーディション詳細◎https://ameblo.jp/reticletkz/entry-12334796281.html

 

 

2018年もいっぱい脚本書いて、いっぱい演出したいなぁ。

たくさんの人と出会えますように。

今年もよろしくお願いします!

 

長々と読んでくれてありがとうー!

赤星でした!

シミズアスナ×雨宮慎太朗◎二人芝居企画『コッペリオネッタ -ジーパラッドの供えもの-』公演情報

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シミズアスナ×雨宮慎太朗◎二人芝居企画

『コッペリオネッタ -ジーパラッドの供えもの-』

 

脚本/演出:赤星ユウ(レティクル東京座)


●STORY
今よりも、もっと遠いとおい時間の先。
空が透き通るような翠(みどり)色だった頃のお話です。
色とりどりのガーベラが咲き誇る谷底の立派なお屋敷で暮らしていた
人形少女・コッペリオネッタは、
「自分」という存在を探しにお屋敷を飛び出し、
真っ白い砂漠でティフォーネという人間の青年と出会いました。

「ここは ジーパラッド かい?」
「ジーパラッド?」
「キミは アンディーチェ だろう」
「それは ワタシ の 名前?」
「ここが ジーパラッドなら キミは アンディーチェだ」

人形少女は青年からアンディーチェという名前を貰い
やがて二人は旅の中で誰も居ない礼拝堂を見つけ、
そこで生活を始めたのです。

 

●SCHEDULE
2017年12月27日(水)
15:00~①
18:30~②

※受付開始・客席開場は30分前です。
※全席自由席です。
※客席開場時は、予約順による整理番号での入場となります。
※上演時間は約1時間15分を予定しております(2017年11月26日現在)。

 

●PLACE
近江楽堂
東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティ3F
京王新線初台駅」東口出口から徒歩3分

 

●CAST
シミズアスナ
雨宮慎太朗
(以上、レティクル東京座)

 

●TICKET
前売:2,500円(自由席・特典付き・税込)
・シミズアスナ&雨宮慎太朗非売品直筆サイン入り2L版ペアブロマイド1種類付き(公演毎に異なるブロマイド)

当日:3,000円(自由席・税込)

 

■チケットに関する注意事項
※前売の特典は、当日受付でのお渡しとなります。
※ご予約後の日時変更・キャンセル・払い戻しはできません。
※お客様のご都合による払い戻しには一切対応できません。
※お客様のご都合によりやむを得ずキャンセルとなったチケットは、再販を行うことがあります。この場合も、既にご予約したチケットの変更・キャンセルはお受け致しかねますので予めご了承ください。
※公式指定販売先以外の不正なチケット購入に関しまして、トラブルが発生する原因となる恐れもございます。ご利用なさいませんようご注意ください。また、これらのチケットに関して生じたトラブルについては、主催者は一切責任を負いません。

 

■上演にあたっての注意事項
※上演中は携帯電話やアラーム等の音の出る機器は必ず電源をお切りください。
※上演中のほかのお客様のご迷惑となる行為はご遠慮ください。
※後方のお客様の視界の妨げとなる帽子の着用や髪型はご遠慮ください。
※劇場内でのご飲食や、所定の場所以外での喫煙はご遠慮ください。
※劇場内で上記注意事項をお守り頂けない場合や、スタッフの指示に従って頂けない場合には、ご退場頂く場合もございます。皆様のご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。
※スペースの都合上、スタンド花・アレンジ花ともにお断りしております。ご理解・ご協力いただきますようお願い申し上げます。

 

●PLAYGUIDE(カンフェティ)

https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=42698&

12月1日(金)22:00~販売開始予定

 

※一般発売は先着とさせていただきます。
 全席自由席ですが、当日・開場時はチケット予約順による整理番号でのご入場となります。
※お支払いはクレジットカードかコンビニ(セブンイレブン)でお支払期間内にお済ませください。
※発券はコンビニ(セブンイレブン)でお引取期間内にお済ませください。
セブンイレブン支払の場合、予約有効期間(お支払期限)が過ぎますと、自動的にご予約は無効(キャンセル)となります。 改めてご予約をお取り直しください。


●STAFF
脚本/演出:赤星ユウ(レティクル東京座)
制作:吉乃ルナ
企画/製作:シミズアスナ×雨宮慎太朗◎二人芝居企画製作委員会

 

●CONTACT
MAIL◎yu_project@reticletkz.jp(シミズアスナ×雨宮慎太朗◎二人芝居企画製作委員会)
TEL◎080-2041-8828(制作:ヨシノ)

WEB◎http://ich888yu.hateblo.jp/entry/2017/11/26/215831

 

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チケットURLや物販情報など、続報をお待ちください!

 

シミズアスナhttps://twitter.com/gorey_cant) 

雨宮慎太朗(https://twitter.com/snt8876

赤星ユウ(https://twitter.com/ich888yu

 

 

『皇宮陰陽師アノハ』終演のご挨拶+創作過程のメモ。【長文】

皆様こんにちは。赤星です。

 

大変遅ればせながら

先日無事、レティクル東京座 N<ニュートラル>エンタメ公演『皇宮陰陽師アノハ』が終演致しました。

先日っていっても約一ヶ月以上前…ヒェッ……ちょっとこの一ヶ月忙しくて…やっとブログが書けたでござる。

ご来場してくださった皆様、Twitterで応援してくださった皆様、そして関係者の皆様、誠にありがとうございました。

 

楽しかったねー、皇宮陰陽師アノハ。

 

無事終演したということで、毎回恒例?

『皇宮陰陽師アノハ』創作過程におけるメモ的なものを長文でずら~~っと書いていきます。です。

色々つらつらと書いていきますが、作品は作者の手を離れた時点で読者(観客)のもの。作者が書いたものが公式・絶対の正解になってしまうという事実はありますが…どうぞそこはもういっそ、気にせず。皆さんが自由に『皇宮陰陽師アノハ』を思い描いてくれればいいと作者的には思います。

以下に書くことはあくまで「私はこう考えて書いてました」ってだけのことなので、ふーん、そうなんだー程度に読んで頂けると!

以下、色々がんがんネタバレ含んで書いてます。

話があっちに行ったりこっちに行ったり。ご注意!

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公演パンフレットにも少し書かせて頂きましたが

『皇宮陰陽師アノハ』のテーマ・モチーフは「喪失(そうしつ)」。

 

ここ最近、自分自身色々なものを失くしてしまったもので。

色々なものを失くしてしまったついでに、ぶっちゃけこの公演の企画を最初に考えた時は「もう劇団もやめようかなぁ」とか思ってました。まぁ企画が立ち上がって皆さんの元に公演の情報を公開する段階では、そんな気持ちは消え失せてましたが。

まぁ特段何があったってワケでもなく、昔からの癖なんですよね。作ったものは壊したくなる。得たものは捨てたくなる。培ったものは全て無にしたくなる。ゼロの状態になりたくなる。ゼロの状態になったところで自分自身が何か別のものに変わるワケではないのに。

定期的に劇団も演劇自体も辞めてぇ~ってなります。でも演劇は楽しいので、いつも辞めてぇ~やっぱ辞めたくねぇ~のせめぎ合いです。だって辞めたって、悲しむ人もきっと居てくれるだろうけど、この地球からの視点で考えると私が辞めたところでそれは些細なことだものな。世界は何も変わらない。地球視点で物事を考えるなって話だけど。

 

でもやっぱアノハの稽古は楽しかったです。本番も楽しかったし。

私は演劇を始めた時からよく人に「諦められてしまう」ことが多くて、それは自分の演劇への理想が高いってのもあるだろうし、自分の演劇や創作に対する感覚があまり人から理解されづらいというのもあると思う。昔から、目指しているものが分からないとか、逆に目指しているものは分かるけど自分はそこには行けないとか、行きたくないとか思われがちというか。誰かが自分について来るのを、諦めた瞬間や、萎縮してしまう瞬間ってのは、不思議なことに表情や行動で何を言われずとも分かってしまうものです。まぁ、時には言葉でそのまま言われてしまいますが。

そういうことの積み重ねで、自分は誰にも理解されず誰にも協力してもらえないんじゃないか。と思うことがよくあります。でも作り続けたいんです。だって、自分の中からどんどん演劇が湧いて来るから。

そうこうしているうちに、今では理解者も協力者も、かなり多くなったと思います。演劇始めた時は理解者も協力者もゼロに等しくて。そう思うと、今は随分恵まれた環境に居ます。

「諦められてしまう」ことに慣れ過ぎて、なんだか虚しい気持ちで演劇をやっていたっちゃやっていたのですが、アノハのキャストは全然諦めなかった。ガッツリ喰らい付いてくれた。それが楽しかったし、なんか燃えたね。心の底から、楽しめたんです、アノハを作るの。それが良かった。同時に腑抜けてた心が引き締まった気がしますね。もっと上に行きたいと思った。もっと立派な脚本家とか演出家になりたいと思った。主宰業もね。

 

私は結構「不言実行」とか「沈黙は金」って言葉が好きで、何も言わずにやることやった方がカッケーじゃんとか思ってしまうんですが、反面やっぱり何考えてるのか分からんとか、あまり上手く自分の気持ちとか他人に伝わってないことが多いので、最近は色々頑張って言葉にして伝えようと思ってます。まぁ、言葉にしても伝わらないことはあるし、言葉にしたことで誤解させることも多いんだけどね。特に、僕らの立場の言葉ってのは、よくもわるくもチカラを持ち過ぎますから。喋れば余計な争いを生むことも多々ある、だから喋りたくない。でも喋らなくても知らない所で余計な争いを生んだりしてますからね、存在してるだけで争いは生まれるってこと。業だね。

まぁだから公演に際して~とか、今何考えてるとか、文章にすべきではないのではとも思うのですが、今の自分を世界に発信するのも自分にとっては大事なのかもしれない。とかも考えます。危ういけどね。沈黙は金。でも作家とか演出家だから、自分は。沈黙しないことが金になる時もあるのかな、とかも思います。自分に都合の良い解釈ばっかだけど。

 

 

今作のキャッチコピー。

「星は墜つ、君を残して。」

 

実はめずらしく色々悩みました。

他の候補は

・星は墜つ、灯火のその先へ

・人間であるということ。

・神とは何か?

 とか。

 

最初に浮かんだのが「星は墜つ、君を残して。」という文章で

でもなんだかショッキングな文章だし…と思い色々考えたけど、やっぱり最初のインパクトを大事にしました。公演の方向性の決定というか。星の末路を飾る。

作品そのもののテーマでもあるし、あの時の劇団そのもののテーマでもあったし、なんか自分自身(赤星ユウ)を示した言葉でもあったかも。

私は此処で終わってもよかったんだよ。ていう。此処で、というより、私はいつ物事が終わってもいいと思ってる節が昔からあるし、自分に終わりが来ることを特別なことではないと思っている。今だって、理解者や協力者が現れてくれたけど、それがいつまで続くかはわからないし、演劇をやる上である程度のドン底は経験してきて、今はドン底から脱してるけど、またいつドン底に戻るかは分からないし、ドン底のさらに下に行くことだって全然あり得る。そしてそれを私は恐怖だと思っていない。いつだって自分の身に振り掛かってもおかしくないことだと思ってる。

自分が居なくなるイメージ、劇団が無くなるイメージってのは、それを始めた頃から常にある。そうなってほしくはないと思って尽力するけど。栄えれば廃れますからね。まぁ現在の救いは、ゆーてまだ栄えてないってことです。まだ山登りの最中ってことです。我々は頂上を目指してガンガン進むけど、頂上を見つけてしまった時が最大の不幸だろうね。あとは墜ちるしかないもの。

星は墜つとか書いたし、此処で終わってもよかったんだよ。とか思ってるけど、でも反面、全然ここはまだ墜ちるポイントじゃないし終わるポイントでもないと思った。

マイナスな文章を書いた時ほど、気分はプラスになりませんか?

逆にプラスの文章を書いた時ほど気分はどんどん落ち込む。

インプット・アウトプットの問題かもしれない。私は明るい作品を書いた時ほど気分は落ち込むし、逆に暗い作品を書いた時ほど気分は明るくなるんです。自分の中の気持ちのアウトプットなのかもね。 まぁ、受け手は、明るい作品観たら気分も明るくなるし、暗い作品観たら気分も暗くなるものだろうけどね。だから基本的に、皆さんと、私の気持ちは、作品ごとにちぐはぐになる。アノハはもう、私はバリバリ明るくテン上げ↑↑でしたよ。ということは皆さんは…。

 

「星は墜つ、君を残して。」って寂しい言葉だけど、寂しさの中にどんよりした絶望じゃなくて、なんか美しい侘しさみたいなのがありませんかね。置いていく情景、置いていかれる情景、どちらも想像できる言葉というか。作品そのものとも密接にリンク出来た気がするし。

キャッチコピーの話は、そんな感じでした!

 

 

そして唐突に皆が知りたがってた?『皇宮陰陽師アノハ』キャラクタァの年齢まとめです~。

自分の中ではこうでした。創作段階のメモ。

年齢順につらつら。

 

?→白虎、六合、酒呑童子、大天狗、野ばら

30代半ば→トガノ

30代前半→山科皇宮護衛官

20代後半→三の葉

20代半ば→大瑠璃陛下、こはる、聖蘭、片喰

20代前半→不破ウシオ、セツ、鹿城サク、五条シズク、サギリ

10代後半→安倍アノハ、朱鷺皇子、蘆屋ホクト、はつね、飛良

10代半ば→なでしこ、きらら皇女、チガヤ

10代前半→レキ、美琴、美鈴

 

ざっくり!

同じ年代の枠組みの中の上下は…自由に妄想してください。笑

この表からわかることを一つあげるとすれば、片喰が留年してるってことです。でもきっとわざと留年してるんだと思います。1~2単位とか残して。

 

あとは、キャラクタァの名前の由来とか。

 

●不破ウシオ…不破は友達の名字を借りました。ウシオは潮(うしお)。メイン三人のうちの海担当だから、海にちなんだ名前を。

●安倍アノハ…安倍はあの超有名な陰陽師から。アノハは作中でも語られてたけど、あの葉=イチョウ。銀杏の花言葉は「鎮魂」「長寿」「荘厳」メイン三人のうちの大地担当。

●大瑠璃陛下…オオルリという青い小鳥から。色鮮やかで美しい鳥ですよ、可愛い。メイン三人のうちの空担当。

●朱鷺皇子…朱鷺(とき)の別の読み方がシュロ。オオルリと対になる赤い鳥。絶滅する鳥、人工飼育の環境下で辛うじて生き残っている鳥。

●蘆屋ホクト…蘆屋はあの超有名な陰陽師から。ホクトは北斗七星。ナナセって偽名もここから。

●白虎&六合&酒呑童子&大天狗…妖怪とか化け物とか神様とかの名前から。一番現存する資料が少ないのが六合。他は結構残されてる言い伝えとか通りにキャラ付けしたけど、六合はかなりオリジナリティが入っている。

●野ばら…茨木童子→茨(いばら)っていうのと、シューベルトの『野ばら』と。野ばらは童謡で一番好きな歌だ。野ばらの花言葉は「痛みから立ち上がる」=羅生門は倒壊と再建を繰り返す。羅生門の鬼と同一視される茨木童子。また別の花言葉「純朴な愛」「孤独」など相反するものを併せ持つ中庸、ニュートラルな存在。

●なでしこ…可愛らしい可憐な花。撫子の花言葉は「純粋な愛」。

●セツ…雪。大瑠璃と同じく、空から来るもの。青系統の色を想定するもの。

●三の葉…三つ葉のクローバーの花言葉は「信仰」。

●トガノ…咎(とが)。一人の人間の生命を代償に地獄から舞い戻った大瑠璃陛下は一生、咎を背負う。

●レキ…歴(れき)。代々続く聖職者の誇りと意志。

●山科皇宮護衛官長…京都の地名より。シンプル~。

●五条シズク…レティクル東京座の作品に地味に登場する名門・条の字一族の五条担当。シズクは雫。ウシオと一緒の、水関係の名前。

●鹿城サク…カシロは化する(=変化する)の命令形、化しろの当て字。発音は違う。サクは朔=新月

●きらら皇女…雲母、鉱物より。キラキラ。

●美琴&美鈴…琴と鈴、楽器にちなんだ名前に、お揃いの美の字。

●はつね&こはる…初音と小春。どちらも春にちなんだ名前。ウシオに春を運ぶ存在。春…出会いの季節でもあり別れの季節でもある。

●聖蘭…アングレカム・セスキペダレ(別名:スイセイラン)という蘭から。花言葉は「祈り」。

●チガヤ…茅(ちがや)という雑草より。そこら辺に生えている、親しみある雑草。普遍的な子供の象徴。

●片喰…片喰紋(かたばみもん)という家紋より。家紋の元ネタの片喰という植物は、一度根付けば何度でも新しい芽を出す。転じて、たとえ片喰という個人が死んだとしても、彼の遺志はこの後の世界で何度も受け継がれていくという暗示。學生組の大地担当。

●サギリ…狭霧(さぎり)より。あと万葉集の「まそ鏡 照るべき月を 白栲(しろたへ)の 雲か隠せる 天(あま)つ霧かも」が鹿城兄妹の元ネタ。輝く筈の月が見えないのは雲が隠してるのかしら、霧が隠してるのかしら。みたいな。サク(月)とサギリ(霧)で呼応する。學生組の空担当。

●飛良…ヒラという魚が元ネタ。漢字は当て字。學生組の海担当。

 

そしてそして、ここで今作の衣裳原案(作成:赤星ユウ)を公開します。

何気に今作では初公開なんじゃないか?

衣裳原案とは、企画のわりと最初の方に赤星から衣裳さんやメイクさんに提出するキャラクタァのイメージ資料です。このキャラクタァの衣裳・メイクのイメージカラーはこんな感じで、本編ではこういう立ち位置を予定していて、本編の展開はざっくりこんな感じになります。みたいなものを絵と文章で説明してます。

これを元に、衣裳さんやメイクさんがデザインしてくださいます。結果、皆さんが観た本編のキャラクタァの外見になっていくのですね。

なので各キャラクタァのプロトタイプ的に楽しんで頂けると。沢山の人間の手で作っていく演劇ならではのデザインの変化をお楽しみください。

かなりゴチャゴチャと色々書いてるので、見辛くてすまない。本当に本当の初期に書いてる図なので、本編と違う箇所も。頭の中の混沌を覗き観てください。

 

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ちなみに、衣裳の杉澤香織さんが描いた衣裳案も公演HPにて掲載してます!

http://reticletkz.jp/anoha/costume/

これと見比べると、どうデザインが変わっていったのかとか分かりやすいかも。

特に主人公のアノハのデザインはガッツリ変わってますね。

あとはヘアメイクとかも結構変わってます。デザインは林美由紀さん。

コチラはキャストページを見て頂くと分かりやすいかも!

http://reticletkz.jp/anoha/cast/

 

キャラクタァの造形を様々な角度からお楽しみください!

 

 

そして、以下、色々メモ~。ざっくり。

 

●宗教都市の元ネタ

場所自体は京都と銘打ってますが、中身は実は、日本唯一の宗教都市・奈良県天理市をモチーフとしてます。宗教が特別なものではなく、日常の一部となっている都市。宗教によって均整を保つ都市。実際に訪れました。不可思議で、美しい街でしたよ。「全ての人がかえる場所」らしいです。同じ見た目の建物がいくつも立ち並ぶ。遠くで祈りの声と太鼓の音が常に聴こえてくる。インスピレーションが掻き立てられる街だった。京都から電車で1時間、750円くらいで行けます。

宗教都市・京都の外身は京都、中身は天理市モチーフです。

 

奈良県天理市

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京都府

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●メイクについて

デザイナーの田中ユウコさんが考案し、ヘアメイクの林美由紀さんが実現してくださったのですが、今回は京都がメインの話ということで、普段のレティクル東京座のアイメイクと全然違う種類のメイクになってます。具体的に言うと、TOKYOから来たウシオはいつものレティクル東京座みたいに華美でド派手で目が大きく見える西洋的なメイクだけど、京都の人々のメイクは目が細く見えるような、あっさりとした東洋的なメイク。

ビジュアル撮影の写真が表に出回った段階で普段のレティクル東京座のメイクと違う!と気付いてくれたお客さんも多くて、嬉しかったし気付くのすごいな~と思った。

 

●宗教都市・京都は標準語

「関西弁のキャラが居ない」

これ公演中誰かにつっこまれるかなあ…って思ったけど、つっこまれなかった、よかった。笑

一応、設定がしっかりあります。京都に首都を移した段階で、標準語(東京弁?)が京都のスタンダードになりました。

 

●『皇宮陰陽師アノハ』は『アイドル♂怪盗レオノワール(2017年上演)』と同時代別地域の話、『昴のテルミニロード(2016年上演)』の数百年前の話

↑これが『皇宮陰陽師アノハ』の上演台本のラストに書かれていた「とあること」です。

レオノワールの終演の時から、ずっと言いたかった~。でもアノハ終演まで言えない~遠い~って思ってた。笑

レオノワールであんなに皆楽しそうだったのに、一方その頃京都は!!みたいな感じです。そして数百年後!!みたいな。

レオノワールではシーニー資本によって土地を買収し独立ディストピア社会、ネオ・ナリマスシティを作ったアイドル♂総裁フェイロン=ワンが主人公の獅子丸カナメたちの敵として登場しましたが、実はそれは大局的に見るとそう悪いことでもなかったんだなあ…っていう話。レオノワールの劇中でも少し語りましたが、フェイロンが来るまであの辺りは『國家解体』で荒れ果てた地だったので。TOKYOはア○リカ的な國に支配されてます。だからレオノワールでも純粋な日本人ぽい人って少なかったり、ハーフっぽい人が多かったりしたんですね~。

ちなみに、不破ウシオが住んでた場所は海があるところということで、ネオ・ナリマスシティやイケブクロ・メトロポリスとは離れた場所。不破ウシオがもしネオ・ナリマスシティに住んでたら、そもそも京都に行こうと思わなかったかもしれない…。

 

『皇宮陰陽師アノハ』は、過去の作品、そしてこれからの未来の作品と繋がる部分が多いです。

今作でいうと…

 

★数年前、聖蘭が見た「東の方へ勢いよく飛んでいく巨大な緑色の流れ星」は、フェイロン=ワンの元へ顕現したファントム・アイン(『アイドル♂怪盗レオノワール』より)

偶然それを見た聖蘭は家を捨て民間宗教家になる。ファントム・アイン的にはただ通り過ぎただけなので、全く認知してない。でもあの日ファントム・アインを聖蘭が目撃しなかったら、アノハの結末は違ったものになってたかも。誰かの何気ない行動が、他の誰かの結末を決めてしまう。バタフライ・エフェクト的な。

 

★大瑠璃陛下とセツの子孫が朝霧陛下、宿木親王、なずな(『昴のテルミニロード』より)

あの後、大瑠璃陛下とセツは結婚し、子供を残す。皇族の血は受け継がれ、繋がっていく。咎を背負った大瑠璃の、実の弟を殺して自由と安寧を得たという「業」は子孫に受け継がれ、朝霧陛下は國の傀儡となった挙句に実の弟に殺され、皇族の血は絶え、日本という國は滅びる。

 

★レキは聖職者ジン一族の始祖(『昴のテルミニロード』より)

レキはジンという名字を新たに名乗り、聖職者として生きる。レキの子孫が代々聖職者として皇族に仕えることに。しかし時代と共にレキの教えは歪められ、再び皇族を傀儡にするための手段として宗教は利用される。

 

★東北に追放された大瑠璃陛下の母親は、東北へ何を残す?(いつかのお話)

★海に身を投げて死んだウシオのキョウダイ。海の下には理想郷がある?母たる海が支配する世界(いつかのお話)

★大瑠璃が死んだ時に行(おこな)った「地獄巡り」。大瑠璃は虚無としか感じなかったが、地獄にも世界は広がっている(いつかのお話)

 

などなど。

『アイドル♂怪盗レオノワール』や『昴のテルミニロード』についてはYouTubeに動画が一部アップされてるので見てくれよな!!(ステマ

 

 

 

 

こちらが公演特設サイトだ……。

アイドル♂怪盗レオノワール→http://reticletkz.jp/leonoir/

昴のテルミニロード→ http://reticletkz.jp/termini/

 

過去公演DVDやパンフレット、上演台本が通販でも購入できるゾイ(ステマ)→

http://reticletkz.jp/store/

 

 ●安倍アノハ(皇宮陰陽師)と蘆屋ホクト(民間陰陽師

アノハは正統派な陰陽師、ホクトはトリッキーな陰陽師というイメージがあります。

二人が使う陰陽術も、アノハのは現実世界に実在する呪文(「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」とか)。ホクトのは今作にあたり書き下ろしたオリジナルの呪文(「怨、故・伐・戴(おんこばったい)」とか)だったりします。他には劇中でも触れてましたが、お互いに使える術が違ったりします。アノハは泰山府君が使えるけど、ホクトは人を操る外法が使えるとか。

正統派なアノハは陰陽師一本でやってたり、トリッキー・庶民派なホクトは陰陽師以外にもそれらを活かした調合師とか占い師とか色々手を出してたり。

二人の関係は公務員VSフリーランス個人事業主みたいな感じです。

ただ、どれだけ二人の陰陽師スタイルが違えども『式神召喚』という術に関しては古来より変化がないという設定で、なので『式神召喚』に関しては呪文も召喚方法も二人とも一緒のスタイルにしてあります。

ちなみに、アノハが使役する「十二天将(じゅうにてんしょう)」も現実世界に歴史として?文化として?実在してますが、ホクトが使役する「十二悪鬼(じゅうにあっき)」という概念は今作オリジナルです。十二悪鬼のチョイスも、有名な悪っぽい妖怪から選びました。

 

●あの世界における『式神

劇中でも触れてましたが、あの世界での『式神』は『式によって導かれし記号』です。

かつて妖怪・化け物・或いは神と呼ばれたカタチの無い概念は、陰陽師によって調伏されると、『式によって導かれし記号』=『式神』…カタチのある概念に昇華する。

妖怪・化け物・神・或いは『式神』は「合わせ鏡の世界の存在」で、普段の我々が住んでる世界と少しズレた世界線に居る。合わせ鏡の中のように、同じ世界が映し出されてるようで、映し出されただけ無限に広がっていくような世界。

式神』が居るところは「合わせ鏡の世界」の中でも隔離されている場所、という設定です。さらに主ごとに隔離されてるイメージです。召喚前の式神はそこで眠り続け(起動前)、召喚の時を待ってます。陰陽師は、自分専用の「合わせ鏡」を一つ所有している者ってことですね。

基本的に「合わせ鏡の世界」は現実の世界と干渉しないが、時折「合わせ鏡」を越えて不可思議なものたちが現実にやって来る。それを我々が妖怪とか化け物とか神とか呼ぶ。(逆に我々が合わせ鏡の世界に迷い込んでしまう場合も。その場合起きるのが「神隠し」)

式神』は、それらを記号化して、意図的にこちらの世界へ呼べるようにしたもの(偶発的なものではなく、確実なものとして)。それらを可能にしているのが陰陽師とか霊力とか。

だから、陰陽師とか式神とか召喚とか言ってるけど、実はやっていることはかなり電子的というか、コンピューターに近いようなイメージ。

陰陽師(ユーザー)が陰陽術・霊力(プロトコル)を使って式神(プログラム)を合わせ鏡の世界(データ)から召喚(出力)してる。みたいな。パソコン用語詳しくないので正確には違うニュアンスになってるかも…でも分かりやすく言うとアレですよ、預けてるポケモンをパソコンから呼び出してるみたいな感じですね。

アノハやホクトは今は霊力が足りずそれぞれ二体ずつしか顕現できないという設定ですが、設定的には他の十体とも契約は切れておらず、ひたすら「合わせ鏡の世界」で再び呼び出されるのを待っています。契約は血ごとに受け継がれているので、血が絶えた瞬間に全ての契約が切れます。

 

●『野ばら』の存在

それを踏まえた上で劇中に登場した『野ばら』というキャラクタァに触れると。劇中で野ばらが自分自身で「そして我は、ある日突然、その方程式より弾かれしもの」と言ってるのですが、まさにそれ。それ以外に説明のしようがないキャラクタァ。

かつて野ばらは「茨木童子」という妖怪で、酒呑童子の部下でした。

あとこれは絶対に伝わってないし絶対に勘違いさせてると思うんだけど、茨木童子は「十二悪鬼」の一人ではありません。また蘆屋ホクトの式神でもありません。

(劇中でナナセと聞いて「ホクト…蘆屋ホクト!(その偽名の正体知ってるで!)」みたいな反応をしてるのも勘違いの要因だなと思うのですが、あれは京都で知ってることは知ってる・知らないことは知らないみたいな感じ、記憶も自我もその時々で曖昧なので…)

茨木童子は別の誰かを主とし、別の誰かの『式神』でした。

それが何かが起きて、契約を失い、でも元の「茨木童子」という概念に戻ることもなく、ふと気付くと…ワタシはダレ?状態の謎の概念になってしまった。所謂バグです。世界の枠組みから外れてしまった存在。

最初は概念からのスタートだったので実体も何も持ってませんでしたが、徐々に実体を得てきている。という設定で、衣裳も包帯グルグル巻きという様相なのですが、あの包帯の中では徐々に身体が形成されていってるという設定です。劇中ではまだ包帯の中身は空っぽ。野ばらは、多分人間になりたいと願って、徐々に人間に存在を近付けていってるんだと思います。

バグなので、非常に自我も記憶も曖昧な存在ということで、その時々で一人称が違ったり、雰囲気が違ったりといった感じで作ってほしいとキャストの青海さんには伝えました。劇中最後ではウシオに「私は、君がそうだと思うもの。俺が認識したものが君。つまり、僕は僕だ。」と言ってますが、あれは「俺が認識したものが君」でウシオとリンクして、ウシオ視点を強制的に一瞬乗っ取ったりしてるイメージです。すぐまた野ばら側に視点を戻しますが。

概念、というものが、つまり君(自分)がそうだと思うものなので。

そうだと認識したものがその人にとってはソレになる。つまり…みたいな、少し難しい台詞でした。

稽古での思い出で、普段あまり質問とか来ない青海さんがめずらしく寄って来て「この台詞さぁ…そういうこと?概念的な…」みたいなふわっとした質問をして来て、「そう、そういうことだよ」って返して「そうかぁ…そうだよなぁ…」って言って帰っていきました。どういうアクトにするか相当悩んでたみたいで、色々イメージを伝えたのも良い思い出です。アメージングで…ワンダフルな…

 

●「ねじれた化け物」

劇中で朱鷺皇子と従者・三の葉との会話で出てくる「ねじれた化け物」。

 

朱鷺皇子「「ねじれた化け物」は、この世のもの、全てを口の中に入れる。太陽を食べれば、日食が起こった。生きている限り、食べ続けることをやめない、おそろしい化け物。」

三の葉「しかし「最後の審判」の日、「ねじれた化け物」は、その運命から解き放たれる。朱鷺様、あなたの心の飢えもいつか必ず、満たされる日が来ることでせう。」

 

このように二人が語ってますが、「ねじれた化け物」の元ネタは旧約聖書に登場する陸の怪物ベヒモスベヘモット)』と、同じく旧約聖書に登場する海の怪物リヴァイアサンレヴィアタン)』です。 

そもそもこの二つの怪物は別個体でありながらかなり役割だったりが似ていて、同一視もされてる怪物たち。

ベヒモスはこの世のものをひたすら食べ続ける怪物。ただただ食べ続ける。ベヒモスの宿命というか存在意義は、メシア(救世主)が現れた時の宴のメインディッシュだったり、「最後の審判」で生き残った人々の食料になると考えられたり。フォアグラのガチョウのような運命というか。

リヴァイアサンは太陽を食べて日食を起こし、月を食べて月食を起こす怪物。とにかく恐ろしい程強大なチカラを持った化け物で、この地上にリヴァイアサンを支配するものは居ない!とまで言われているけど、最後は神に頭を砕かれて、砂漠の民の食料にされる。

ね、別個体の筈なのにとても似ているでしょ。作中の設定としては、この二つの怪物の話をミックスしたものを、「ねじれた化け物」として語っているといった感じです。二つの別個体の話が「ねじれて」同一個体の話になってる、という意味も込めてます。

 

朱鷺皇子や三の葉が劇中で

 

朱鷺皇子「私は、「ねじれた化け物」?」

三の葉「人は皆、「ねじれた化け物」ですよ。」

 

といった感じでなんとなく示唆していますが、劇中における朱鷺皇子はベヒモスであり、リヴァイアサンです。存在するだけでひたすらあらゆるものを破壊し続け、最後には神(大瑠璃陛下)に殺され、メシアや民の食料(犠牲・糧)になる。「最後の審判」の日、その運命から解放される。つまり、死して生きるものの犠牲・糧となることで、朱鷺皇子は全ての苦しみから解放されるというエンディングを示唆していました。

 

OPで「羽ばたいた鳥は 解放の標(しるべ) 犠牲を伴(ともな)い 繁栄を呼ぶ 時(とき)の呪いを遺(のこ)し」という歌詞があるのですが、ここら辺も大瑠璃陛下と朱鷺皇子という二羽の鳥のことを表現したりしてます。時の呪いは時代の呪いって感じなんですが朱鷺(とき)の呪いと若干掛けたりしてます…こんな所で誰にも理解されないクソ駄洒落を入れてしまった…。大瑠璃にとって朱鷺は呪いですからね。

そう、今作だけじゃないけど、結構「呪い」というものをモチーフにすることが多いです。誰かの言葉や誰かの行動が誰かへの呪いになる的な。幽霊とかではなく、生きている人間の業みたいなイメージに近いです。今作でもいっぱい「呪い」を仕込みました。自分が描く呪いはいつも、マイナスな意味だけを持つとは限らない、といった感じにしてます。そういった視点でレティクル東京座の作品を観てみるとまた違った発見があるかもしれません。

 

朱鷺皇子というキャラクタァは、おそらく観ていて全く理解出来なかったりするキャラクタァだったんじゃないかなと思います。何がしたいの?みたいな。反面、朱鷺皇子と似ている人からしたら、理解は容易だったと思うし、共感しやすかったかも…。

朱鷺はとにかく生まれつき「破壊衝動」だったり「破滅願望」を秘めている人で、それに苛まれてあらゆるものを傷つけ破壊してしまう。自分の感情を抑えきれない人。だから、行動も全然理屈じゃない、衝動的。でもそんな衝動的な自分のこともちゃんと分かってて、あらゆるものが嫌いだけどそんな自分が一番大嫌い。みたいな。

朱鷺皇子みたいな人、よく周りに居ませんか?

 

所謂「架空の物語」を作る時に、キャラクタァはある真っ直ぐな感情を持ち、真っ直ぐにその目的を生きたりすることが多い。たとえ悩んだとしても、それさえも到達地点にキャラを持って行くための必要事項だったりね。そうして物語を作っていると、私はよく「コイツ何がしたいの?」ってキャラを逆に作りたくなる。よりリアルに寄せるために。だって、我々が生きている現実の方が、コイツ何がしたいの?って人、多いじゃないですか。でもそのコイツ何がしたいの?って人も、突き詰めていくと、自分の感情が上手く表現出来なかったり、そもそも自分で自分のことが分からなかったりしているってことに気付く。それって何も特別なことじゃない、よくあることで、リアルだな。って思う。あまり「物語」に登場しないけど。でもそういう特性を持ったキャラクタァを物語に入れることで、物語ってまた違った味わいが出来るんじゃないかなと思ってる。

でも、そういうキャラクタァもきちんと愛されてほしいし、納得してもらいたいし、自然に溶け込ませたい。それには描き方をきちんと丁寧に考えないとだなと、日々研究中です。あと何より演じてくれる方の魅力あってこそです、これは全部のキャラクタァに言えることですが!皆、アノハのキャラクタァを演じてくれてありがとう(ここで言っちゃう) 

 

●所謂「良いシーンだなぁ」ってのを描かないようにしてる

自分が演劇を作るにあたって、善人の善人による善人のためのプラスだけに溢れているシーンってのを、極力作らないようにしてます。というのも、やっぱり色々な意味で「リアル」で在りたいから。描いてるのは何処まで行っても虚構そのものなんですけどね。逆に、マイナスだけに溢れたくもない。「なんとも言えない」シーンを作るのが好きだったりする、観ている方はモヤモヤするかもだけど。

人間のエゴだったり、どうしようもなさだったり、それでも自分を納得させてなんてことないように生きようとしたりする、そういうのが溢れてるシーンが好き。

よく現場で、「私はここのシーン、全然良いシーンだと思って作ってないから!登場人物のエゴに溢れてて、クズみたいなシーンだよ!それを理解して演じてくれ!」って言ってます。「観る人によっては、ここのシーンは良いシーンだなぁ・感動的だなぁと映ると思う。それは一つの正解だし、観たいように観てほしい。でも作ってる側は、このシーンは良いシーンだなぁ・感動的だなぁと思ってはいけない」とも言います。

おそらく、作家・演出家によっては同じシーンを描いても、良いシーン・感動的なシーンにする人も居る。それも一つの正解だし、そういうところに演劇の個性って出ると思う。そんな中で、私はこう描くんだっていうイメージを伝えていくことが、演出家の仕事なのかなとも思います。

 

●その後の世界

あの後、宗教都市・京都の門は再び閉ざされます。

結果として、大瑠璃陛下は自分に歯向かうものを全て排除し、自分を支えるポジションを自分が信頼おけるもののみで固めましたが、それは決して幸せな未来を大瑠璃陛下自身にもたらしません。劇中でも大瑠璃は、嫌なヤツを切り捨てず手元に置き続け、なんとか共存をはかり痛み分けをすることにより調和を為していました。アノハが虐殺すれば…といった提案に対しても「人間の道理を越えてはならない」と言ったり。それは大瑠璃自身、痛み分けで調和を為さないと、必ず今以上に恨みを買ったり報復されたり大義を失ったりすることを理解していたからです。現状維持しつつ、じわじわと有利に物事を進めたかったのです。

でもそれが朱鷺の暴走やホクトの暗躍や民の扇動で不可能になった。結論を出さないといけなくなり、結果として弟を殺し、自分に歯向かうものを全て排除し、残った仲間たちで周りを固めましたが、大瑠璃もウシオもアノハも、それが全く最善の方法ではなく、むしろ大変なことをしてしまったということを理解している。

完成したのは独裁体制で、真の恐怖政治だからです。

大瑠璃と朱鷺の関係は複雑で、朱鷺の最期の瞬間は確かに穏やかな安らぎを感じていたし、大瑠璃と朱鷺の間ではあの結末はお互いに受け入れられ・完成されている世界ですが、大瑠璃が朱鷺を殺した・兄が弟を殺したという事実は決して消えることはなく、後世にまで「クーデターを起こした弟(皇子)を殺害し、クーデターに加担した民を銃殺刑に処し、自らの臣下のみに高い地位を与え世を治めた陛下」という歴史のみが残ります。

それを理解していたウシオは大瑠璃に朱鷺を殺せと言われ実際に殺した時に、「俺の意思で殺したんだ!」と言います。命令されたからやったんじゃない、俺の意思でやったんだ、だからこれは陛下が皇子を…兄が弟を殺したんじゃない。みたいな。自分がかつて経験してしまったキョウダイ殺しの罪を大瑠璃に背負わせたくなかったというのもある。でもそれは朱鷺にはまかり通らないし、朱鷺じゃなかったとしてもまかり通りません。ウシオは大瑠璃に仕える存在ですからね。それに朱鷺はウシオなんか見てなくて大瑠璃だけを見てましたから。結局、ウシオは罪を被るのに失敗したし、そもそも大瑠璃も朱鷺もウシオに罪を被せる気はなく、お互いに罪を分け合うことを選んだので。ただ、皇族なので刀は握らない。実行するのはいつだって、命令される誰かです。若干ニュアンスは変わるけど、絞首台の、ボタンを押して床を抜く人と一緒。

そう考えると、皇族でありながら自分で銃を持ち大瑠璃を撃った朱鷺の愛憎は凄まじいものだったとも思います。

 

とにかく、あの後の世界の未来は暗いです。

そしてこれからの未来を、京都に残った人々は全員理解しています。

でも同時に、それでも立ち向かっていかなくてはいけない、とも理解しています。

だから大瑠璃は去ろうとするウシオを引き留め、ウシオを京都へ残した。

 

『皇宮陰陽師アノハ』の数百年後が『昴のテルミニロード』なので、今後ウシオやアノハや大瑠璃たちが何を残そうとも、全ては滅びに向かっていくワケですが、それでも『昴のテルミニロード』の時代には『皇宮陰陽師アノハ』の登場人物たちは誰も残っていません。当然、みんな自らの人生を終えています。

たとえ滅びに向かっていくとしても、その登場人物たちが生きていた時代までしか世界は認識出来ないということを踏まえると、ウシオやアノハや大瑠璃はあの後精一杯生きて、自分の人生を全うしたかもしれません。「後なんてどうだっていいんだよ、今が一番大切なのに」ってヤツですね。

だからあの世界の未来は暗いけど、それと登場人物たちが幸せだったか不幸せだったかは関係ないというか、そことは完全に切り離された事象だと思います。私たちだってそうでしょ?

だから、皆があの後の世界を自由に想像してくれればいいと思います。いつか公式で続編を書くかもしれないけど。

とりあえず決まっていることは、大瑠璃とセツが結婚して子供を残すこと。皇宮陰陽師の血がいずれ途絶えること。レキの末裔が聖職者としてやがてレキの教えを歪めていくこと。とかとか。あとは多分、あの後の世界で不破ウシオと鹿城サクが大瑠璃陛下に皇宮護衛官として仕えていくけど、あの二人はきっと殺伐とするし、きっと仲が悪いし、結局は不破ウシオが劇中最後に大瑠璃陛下に語った通りの未来になっていく。それでも大瑠璃はウシオを手元に置くことを選んだし、アノハもそれに従う。人生は泥沼だ。それでも時間は流れていくんだ。みたいな。

人生は泥沼だけど、生きているということはそれ以上に何かしら意味を持つものだよね。とも思う。死ねばそこで終わりですから。それでも「死」すら全くの無意味ではない、誰かの死も誰かにとって意味を持つものになる。だからあの世界で無意味だったことなんて何ひとつない。それは我々が生きている現実ですら同じ。

意味のないことなんてない、だからこの世は地獄なんだ。 烙印は君の希望。

 

 

●その他小ネタ

ひたすら長々と語ってしまった!以下は小ネタまとめだよ!

 

・海の下に理想郷があるっていう概念は、安徳天皇(平家)が入水する際の二位尼の「波の下にも都がございます」という言葉が元ネタ。

・蘆屋ホクトのラストの台詞「出ていこうと思えば、いつでも出ていけた。そうしなかったのは、惰性(だせい)。惰性だよ。」は追加された台詞。当初は「さようなら……安倍アノハ。」しかなかった。普段滅多に台詞を追加することはないんだけど、完本して関係者に送付してから、何かしら引っ掛かってて。すぐにそこの一文だけ追記して、初稽古に臨んだ。なんか曖昧な書き方になってしまいますが、直感みたいなものがあったんでしょうね。ここでこの一文を追記することで、この作品は格段に良くなるぞ。みたいな。あんまりうまく言えないんですけどね。

・プロットの当初は実は、鹿城サクを投獄されて闇堕ちした五条シズクが不破ウシオに対してアプローチを掛けて二人が身体だけの関係になる予定だった。ウシオ・シズク・はつねの三角関係的な。その延長線上で、様々な立場の人間と関わることにより大瑠璃陛下を正義だと感じられなくなったウシオが大瑠璃陛下を裏切って大瑠璃陛下を刺し殺す展開も考えてた。もしくは、最初から不破ウシオが大瑠璃陛下を殺す雇われ暗殺者として入洛して、脈絡なく中盤過ぎに大瑠璃を刀で刺してアノハと対立する構造とか。観客も「ええっ!?」てなるような感じで。最後はウシオがアノハに殺されて終わるENDも考えたり。結局色々練り直して、それらは無くなったんですが。ちなみに飛良も離反して主人公側につく展開も考えたのですが、プロット改定で今の形に落ち着きました。あと、山科皇宮護衛官長が一度裏切った後、大瑠璃側に再度降り、その忠誠の証としてきらら皇女を子宮摘出のために捕らえるって展開も考えた。その後、子宮を取られたきらら(手術は別の人)が去るのを見送った後、後ろから鹿城サクに撃ち殺され「一度裏切ったものはどうであれ許さない」みたいな展開も考えてたけど、プロット改定で今の形に。あったかもしれない皇宮陰陽師アノハ。

・公演パンフレットにもちょっと書いたけど、そもそも最初は陰陽師少女アノハ』っていう現代風式神學園ラブコメになる予定だったんですよね。白虎と六合が普段は人間の姿してるけど実はアノハに使役される式神で、アノハは街の異変を式神を使って解決するとかいう…そういうカードキャプターさくら的なものになる予定だったんですけどね…蘆屋ホクトも女性でアノハの陰陽師ライバル兼恋のライバル的な感じの清楚で淑やかだけどやる時はやるで的な眼鏡キャラだったんですけどね…大瑠璃陛下とか朱鷺皇子とか存在してなくて、なんか寺の息子とか登場する、全然違った作品になる予定だったんですけど色々あって全部没!ボツ!没!すげー方向転換して『皇宮陰陽師アノハ』が生まれました。

・『皇宮陰陽師アノハ』での安倍アノハの性別は特に劇中で明言してません、お好きなように。

・作中で登場しなかった他の『十二天将』『十二悪鬼』もいずれ別の作品で出て来たら激熱だなと思う(セルフbot)もし朱雀とか玄武とか青龍とか登場したら「あっ白虎の仲間だ!」って思ってください。

・絶版した『學園使徒ノクト(2015年)』って作品から実は地味に「『条』の字一族という名家がある」って設定をたまーに使ってて、一条~九条まで居てそれらを治めるものを守条(かみじょう)という。って設定の元、今回は五条を登場させました。過去に守条・三条・九条を登場させてますが、三条以外絶版作品になってるので、今後また新たに登場させたいところ。

 

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以上!!

ここまで長々と読んで頂きありがとうございました。

自分としても、ようやくしっかりと文章が書けてよかったです。

 

これから12月中旬(予定)に劇場で注文した人に『皇宮陰陽師アノハ』DVD&Blu-rayが届いたり、その辺りでアノハ関連の物販も通販出来るように整備したりしようかなと思ってたり(予定)、そうこうしてるうちに次回本公演が動き出したりと、レティクル東京座は精力的に活動する予定です。

いっぱい楽しいことしような♂♂

 

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お客様からのお花や差し入れ等です!

うおおおお~~~~圧倒的感謝ァ……。皆様の応援のおかげで日々楽しく演劇やれてます!いつも応援ありがとうございます!

 

落ち込んだりもするけれど、私は元気です。みたいな。

頑張りたい、頑張りたい、みたいな気持ちを奮い立たせて、これからもレティクル東京座頑張ります。

 

改めまして

ご来場してくださったお客様、応援してくださったお客様、関係者の皆様、この度は誠にありがとうございました!

これからもよろしくお願いしまぁす!

 

 

近々色々なお仕事情報をまとめたいな~と思ってる赤星でした。

なお。

 

末安陸一人芝居企画『女装に目覚めた青年を覗き観る。』終演のご挨拶+memo

こんにちは。

赤星です。

ブログではお久しぶり

 

 

先日、無事

末安陸一人芝居企画『女装に目覚めた青年を覗き観る。』

終演しました。

 

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ご来場頂いた皆様

Twitterで応援してくださった皆様

誠にありがとうございました。

 

生まれて初めて一人芝居、生まれて初めての劇場以外での公演(大学サークルの頃に大学の教室でやったことはあるけど…)色々初めてだらけの公演でした。

自分は2012年に劇団を旗揚げして、脚本・演出自体は2011年から始めたのですが、実は最初からひたすら今までずっとそれなりに大人数でのエンタメ芝居をやり続けてました。飽きることなくずーっと。ずーっと大人数のハチャメチャなエンタメ作ってた。

この5~6年、ひたすらずーっとレティクル東京座(※赤星が主宰をやってる白塗りエンタメ劇団)しかやってなかったんですよね。

 

何でかっていうと、やっぱりひたすらエンタメ芝居がやりたくて、だから自分が一番チカラの発揮できるホーム(自劇団)を作ってひたすらにやってたから。

あと実はつい最近まで大学に通い続けてて(ウッッッ頭ガッッ

レティクルやって、大学行って、レティクルやって…っていうループで数年間過ごしてて。それが自分のサイクルだったんですけど、こないだ大学やっと卒業して(ウッッッッ頭ガッッッッ

わりと時間にぽっかり余裕出来て、レティクルは年に1~2回しかやらないし、空いてる時間にじゃあ何するかなってなった時に、やっぱ何かしら演劇やってたいなと思って。

 

そうなった時に、自分が一番やりたかった大人数のエンタメ芝居は、レティクル東京座っていうそれなりに安定した土壌で伸び伸びと好きに出来るぐらいにはなってたんですね。で、レティクル東京座って少し特殊で、登場人物が全員白塗りでやるエンタメで。歌ったり踊ったり。何じゃそりゃって感じの劇団で、広報戦略的にキャッチコピーみたく「唯一無二!」と謳わせてて、此処に行けば必ずこういった芝居が観れるぞ。レティクル東京座がやってることはレティクル東京座にしか出来ないぞ。っていうのを押し出してて。

 

詳しくはYouTubeの動画とか


レティクル東京座『アイドル♂怪盗レオノワール』★OP


レティクル東京座『アイドル♂怪盗レオノワール』★第一幕場転

 

劇団公式サイトを見てね!!!(ステマ

http://reticletkz.jp/

 

 

まあそんな感じに細々頑張ってるのですが、そうやっているうちに、自分がそういった特殊?な芝居しかやってこなかったことに気付いて。きっと誰もが当たり前にこなしてきたルートを、全然通ってないことに気付いて。

自分はレティクル東京座でやっていくと思ってるけど、それしかやらないというのも、作家・演出家として勿体ない。まだ若いのに。若いっつってんだろ

いつしかぼんやり、レティクル東京座ではやらないことを、やってみたいなあ。って気持ちを抱いてました。

 

そんなある日。

俳優の末安陸くん(https://twitter.com/riku_bd)がSNSで、何か色々あってフザけて女物の長袖のワンピース?を着た写真をアップしたのです。まあワンピースっていってもその写真は下まで映ってなくて、上半身のアップだったのでスカート部分は映ってなかったんですが。でもその上半身だけでパッと女物だと分かる、上質で上品な服だった。 しかもそれは、女装として着たんじゃなくて(多分)本当に素のまま、ただそこにワンピースがあったから着ましたみたいな、ナチュラルな写真だった。

その写真が本当に本当にとても良くて、素晴らしくて、ガーーッと自分の中のインスピレーションが掻き立てられました。

私もその場のノリでフザけて「女装芝居やりましょう!」とコメントした。

でもどんどん芝居のストーリーやイメージがわいて、次の日、公演の企画書を書いてまとめて末安君に送った。 お互いのスケジュールをすり合わせて、小屋を取って、契約して、そして表に情報を出した。あっという間だったね。

 

ちょっと話を寄り道。

私が末安君と出会ったのは、2015年に上演したレティクル東京座の本公演『幕末緞帳イコノクラッシュ!』の出演者募集オーディション。

お互い認識したのはそこだけど、厳密に言えばちょっと前に一方通行で認識?してた。

『幕末緞帳イコノクラッシュ!』の前に上演したレティクル東京座の本公演『學園使徒ノクト』を末安君は観劇していた。私は毎ステージ、客席の後ろから公演を観てダメ出しを書いてるのだけど、実はその時観劇していた末安君を認識していた(名前も顔も存在も当時は全く知らなかったけど)。末安君はその時、客席後方の下手側の席に座っていて、偶然にも居る場所が近くて、私は「なんか顔が良くてスタイルも良いイケメンが観に来てるなあ、きっと役者さんやろなぁ、」と思ってた。(余談だが、なんとなくモデルと役者の違いはパッと見て分かる、あんま具体的に説明出来ないけど。雰囲気かね)

そうこうしてるうちに次回公演のオーディションに彼が来て、出演が決定して、以降三作品ほど連続でレティクル東京座に出演してもらった。

 

皆ご存じかもしれないけど、彼はとても素敵な役者で、まず見た目がセクシー。(いきなり見た目の話ですまない)

整った顔をしている。私が一番彼の見た目で好きなところは、目の下のクマ。目の下にくっきりと暗い影があって、それがとてもセクシーだと思う(謎感性)。

目の下のクマと対照的に、瞳はとても澄んでいて綺麗。光が入って、きらきら輝く。

時々薄く開きがちな唇もいい。身体がとても薄い。横から見るとすごい。スマホ

手足も細く、しかし筋張っている。身体も薄いが筋肉の筋が至る所に綺麗に入っている。お腹もいいけど、何より背中の筋が綺麗だ。

ここまでひたすら見た目を褒めてしまったけど、彼は内面も素敵ですよ。そこまでパーソナリティなところにお互い踏み込んでないのでビジネス上でのことしか語れませんが。

彼はとても誠実で、真面目な人間。義理を大切にする。台詞の入りも早いし、演技の修正も早い。淡々と真面目に物事に取り組む。何より観客への感謝の気持ちをどんな時でも忘れない。

演出家と役者間の話をすると、よく赤星の要望に応えようとしてくれるし、且つ自分で考えて一本筋を通したプランを持って来てくれる。ぼんやり迷子になるタイプではなく、しっかりと着実に自分でよく物事を考え、突き詰めてくれるタイプ。一緒にやってて楽しいね。

 

道に戻る。

女装?の写真でインスピレーションを得てバーッと話が思い浮かび、あらすじを書いたんだけど、その時は「末安君はもし女装をするってなったら、こういう反応をするんじゃないかな…」と想像して書いた。(あらすじの内容は、普通の青年が女装に興味を持ち軽い気持ちで試したら、似合うと思ったのに似合わなくて、謎のプライド?自尊心?が傷つけられ、ムキになりのめり込んでいく…といったもの)

その時の想像は、あくまで「仮定」的な意味合いで、特に彼の過去とかは知らずに書いたんだけど、その後打ち合わせで、実はかつて過去に似たようなことがあったと知って、びっくりした。

その内容は、女装芝居の中で彼が長台詞でバーッと語ってくれてます。あれは末安君の実話を元にしてます。(劇中ではコスプレカフェだったけど、実際はミスコンだったらしい)

想像と過去が一致すると、気持ちいい。

 

 

公演内容の話。

『女装に目覚めた青年を覗き観る。』というタイトルの通り、女装芝居でした。

私は昔から本っっっ当に女装というものが大好きで、でもその女装は、男が完璧に女になりきるタイプの女装ではなくて(ウィッグとか被って完全に自分の『男』の部分を消して『女』になりきるタイプのものではなくて)男性が男性のまま女装しているのが好きだ。何言ってんだ?って感じだけど、シンプルに伝わってほしい。男性が女性の服を着ているのが好きなのかもしれない。当然似合わないんだけど、でもそれでいい。逆に似合わなければ似合わない方がいい。別に性癖じゃないんですけど。

何で好きなの?って聞かれてもわからない…。ただ本能で似合わない女装を求めている…。

 

この作品を書くにあたって、色々青年の気持ちや行動を想像しながら書いたのですが、本当に台本に違和感がないか?こういう時どう考える?こういう経験はある?何を思う?など分からないことが多かったので、末安君本人にも色々質問したし、あと男性劇団員の中三川君と雨宮さんにも色々質問しました。古俣さんは雨宮さんと系統が似てるだろうなって思って省いちゃったよ、ごめんね

 

作品の中でメイクをするくだりは、自分の高校生ぐらいの時を思いながら書きました。今、スマホやネットが流行った時代ではどうなってるのか分かりませんが、自分が高校生の頃はまだ今ほどネットがメインで台頭してきてはなくて(勿論流行ってはいたが今ほどでは。まだまだアナログなことが台頭していた。スマホは存在しておらずガラケー、パソコンは持ってる人は少なかった)

所謂女性がメイクを知る時、メイクに興味を持つ時、っていうのは、同世代の友人同士のなんとなくの流行り・共通意識だったりとか、年頃になった瞬間からの姉や母親からのレクチャーだったりとか、っていうのがきっかけになることが多いんじゃないでしょうか。その人のポジションにより一概には言えませんが。

自分の時のことを思うと、やはり同世代の友人がメイクをやり始めて、じゃあ自分もって感じだった気がします。今だと、もしかしたらネットで検索してやり始めるのかな?と思いますが、当時はメイクはネットで学ぶんじゃなくて、女性向けのファッション雑誌のコラムで学んだり、あとは友人同士の口コミとか…が主だった気がします。

自分も高校生の夏休みにメイクをめちゃくちゃ練習した覚えがあります。(学校には校則の関係でメイクしていけなかった)夏休みが集中してメイクの練習が出来る期間だったんですね。勉強に集中しろ

初めてのメイクは、劇中の末安君みたいに、何も上手くいかなかった覚えがあります。自分が不器用すぎたのもあります。全然上手く出来なくて、ボロ泣きしながらやってたのだけ強く覚えてます。

 

そうこうしながら覚えたメイクですが、メイクってのは時代と共にあっさりやり方とか流行りとか変わっていくものなので、自分のメイクは今の時代では古いなと思うし、やり方違うなと思うし。でもメイクや服装の流行りを追い求めるのは自分は10代の時がピークで(なんせやりたいことが無さ過ぎて大学行かないで原宿のショップ店員になりたいと思ってましたからね)

20代からは特に流行りを追おうと思わなくなってしまった。いや、演劇をやっているので、『流行り』というものは知識として吸収はしてるけど、それを自分に反映する欲がないというか。若干演劇観の話にもなるのですが、他人を仕立てるのが好きで、たぶん得意な方なんだけど、自分のことにはあまり頓着しないんですよね。余談ですが、だからなのか、私個人と、私の作品が、イコールに繋がらない人が多いらしいです。「えっこの人がこれ書いたの!?」みたいな風に言われることが多い。自分的には、ばりばりイコールだろーって思うけど。

 

話の内容的には、「俺って何?」みたいな感じのを端々に入れてたのですが、この「俺って何?」というか自我、というか自己、というか、っていうのは、実はレティクル東京座でも…というか赤星の創作物そのもので結構テーマにしてることで、自分が昔から一番興味があったのは「自分って何?」ってことだったので、それが色濃く出てるというか。

これは個人的な感覚とか感性の話なのですが、赤星は子供の頃から、鏡に映った自分を上手く「自分」と認識出来てなくて、どういう感覚かというと、目の前に映った肌色の皮を被ったこの顔、の奥に眼球や皮膚が収まってるじゃないですか。そういった顔や身体の奥底の皮膚、血管、内臓、骨…?とかを想像して、それらを覆っているこの肌色の皮膚、が作った自分の顔や身体。と思考が内(内臓とか)から外(皮膚の上とか)に戻ってきて、そうすると「自分」がこの「自分の顔」を所有?していることが、どこか客観的なものとしか見れなくて。主観的なものとして考えられなくて?

どうやらこの身体を自分が所有しているらしい。名前も貰っているらしい。育ってきた過去や経歴があるらしい。と、どんどん客観的な視点になっていく。って感じ。

昔ほどじゃないですけど、今もそんな感覚はあります。結果、「自分って何?」って問いは昔からぼんやり考えていて。哲学的な意味でも、感覚的な意味でも?

まあでも、そんな感覚を口に出すと変かなと思ってたし、普通に暮らしてたんですけど。今、大人になって、そういった外面とかコミュニティとか一切気にしなくてよくなって、(要は好きに一人で生きられるようになって)、子供の頃からの感覚や思考を掘り起こして、寄り添って、ゆったりと作品づくりに昇華していってる感じであります。

 

それとはまた違った感覚の話ですが

大学でやった勉強で、印象に残ってることのひとつに『カテゴライゼーションの暴力』って概念があって。

ざっと言うと、「ひとは白黒つけたがるけど、言葉や概念に縛られないという選択肢があってもいい。」的なやつで、ひとは生きてる限りあらゆる意味でカテゴライズされるし、カテゴリーに属さないといけない時とか多いけど、本当はそういった支配から逃れる選択肢があってもいいし、そういうのだって選べるんやで。的な概念。

まあ、その考えも矛盾を孕んでるけどね。カテゴライズされないという概念にカテゴライズされてるやん…的なね。突き詰めると、『虚無』こそが平和であり安寧なのでは?とかよく思うけど、『虚無』もカテゴライズだよね。まあ、そういった矛盾を置いといて、『カテゴライゼーションの暴力』から逃れるという概念は、赤星にとっては衝撃だったし、ええやん、と思ったのです。

 

今回の作品でも、そういうのは一貫して意識しましたね。

一般的な感覚、概念に自分が沿えていないのでは…?という揺らぎ。部屋に一人籠って思案する青年という構図。(会場は「ギャラリーしあん」という古民家だ!)

鏡。自己との対話。他者との繋がりを唯一浮かび上がらせるスマートフォン。部屋に裸で籠るという構図は子宮の中の胎児にも似ている。

余談ですが、部屋の窓は雨戸で閉ざされ、さらに本来透き通っているガラス窓は、新聞紙で塞ぎました。

 

気付いた人、居るかな?その新聞紙、実は全部、「逆さま」か「横向き」に貼ってあるんです。

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あっ…見てほしいのは後ろの窓の新聞紙ね。ちゃんと見てる??

 

劇中で色々なことが逆さまに、アベコベになるので、それの象徴です。あとは、横向き、平行線・並行線の気持ちだったり、未来だったり、の示唆的なね。上がりもしないし下がりもしない、変わらないままの青年の日常(本質)的な。

 

1時間30分の中に、色々詰めた作品でした。1時間30分の一人芝居ってすごいよ。普段レティクル東京座、30人ぐらいで1時間45分の作品やってるからね。

文字数の違いもえげつなかったですよ。今作、台本は約1万2000文字で、音も照明も特に変わらない。レティクル東京座の前回公演『アイドル♂怪盗レオノワール』は台本は約4万8000文字、音楽とか照明とかバンバン入ってくる。

これで15分しか上演時間違わない。ね、えげつない。末安陸は本当にすごい……お疲れ様…(このタイミング)

 

 

なんか色々長々語っちゃったけど、今作はDVD撮影はしてません。DVDにはなりません。写真は撮ったけど。また何処かでまとめて公開するかな。

あの公演は、あの三日間だけの、我々とあなただけの秘密です。あとはもう我々の思い出に残るだけ…。あなたの心の中で、頭の中で、さらに美しい公演になるといいな。

 

さいごに。

末安陸くん、本当にありがとう!楽しい三週間だったね!(稽古は全8回)

一緒に上演出来て楽しかったよ。本当に楽しかった。

また作品づくり一緒にしましょうね。

 

改めまして、ご観劇して頂いた皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

今後もまた、レティクル東京座をやりつつ、合間で少人数のこじんまりとした公演をやりたいなーと思ってます。近すぎる距離感で、楽しいことやりたいね。

 

 

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末安陸、美しかったなあ。

 

 

 

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美しかったね……口紅(鳴き声)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さあ、部屋の外に出よう。

 

 

 

 

(撮影:飯田奈海様)

 

末安陸一人芝居企画『女装に目覚めた青年を覗き観る。』◎公演詳細

 

レティクル東京座(http://reticletkz.jp/)の赤星ユウが脚本/演出を務め、guizillen(http://guizillen.under.jp/)の末安陸が出演する三日間限定の一人芝居企画の詳細です。

-----キリトリ-----

 

末安陸一人芝居
『女装に目覚めた青年を覗き観る。』


脚本/演出:赤星ユウ(レティクル東京座)
青年役:末安陸(guizillen)

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●あらすじ
青年はある日ふと女性の衣服に興味を持ち、
女性の化粧品やアクセサリーや香水の持つ美しさ・華やかさにひどく魅入られた。
自分がそれらを身に付ければあっという間に自分も街を歩くあの女性たちのように
可愛くなれるのでは?と思い早速軽い気持ちで試したところ、
鏡には気持ちが悪い不格好な男しか映らなかった。

そんなワケがない。
俺はゆーて顔も整ってる方だしスタイルだっていい、
目はパッチリだし鼻筋も通ってる。

青年の探求と執着と劣情の夜がはじまる。


●日時
2017年6月30日(金)~7月2日(日)

6月30日(金) 19:00~①
7月1日 (土) 14:00~②/19:00~③
7月2日 (日) 14:00~④/18:00~⑤

※受付開始は開演45分前、客席開場は30分前です。
※全席自由席です。
※客席開場時は、予約順による整理番号での入場となります。
※上演時間は約1時間30分を予定しております(2017年6月27日現在)。


●会場
Gallery & Space しあん
〒110-0015 東京都台東区東上野1-3-2
TEL:03-5812-3633
HP:http://www.siang.jp/

都営地下鉄大江戸線新御徒町
A1出口より徒歩約1分


●チケット情報
前売:2,500円(自由席・特典付き・税込)
・末安陸非売品直筆サイン入り女装2L版ブロマイド1種類付き(公演毎に異なるブロマイド)

当日:3,000円(自由席・税込)


■チケットに関する注意事項
※前売の特典は、当日受付でのお渡しとなります。
※ご予約後の日時変更・キャンセル・払い戻しはできません。
※お客様のご都合による払い戻しには一切対応できません。
※お客様のご都合によりやむを得ずキャンセルとなったチケットは、再販を行うことがあります。この場合も、既にご予約したチケットの変更・キャンセルはお受け致しかねますので予めご了承ください。
※公式指定販売先以外の不正なチケット購入に関しまして、トラブルが発生する原因となる恐れもございます。ご利用なさいませんようご注意ください。また、これらのチケットに関して生じたトラブルについては、主催者は一切責任を負いません。

■上演にあたっての注意事項
※上演中は携帯電話やアラーム等の音の出る機器は必ず電源をお切りください。
※上演中のほかのお客様のご迷惑となる行為はご遠慮ください。
※後方のお客様の視界の妨げとなる帽子の着用や髪型はご遠慮ください。
※劇場内でのご飲食や、所定の場所以外での喫煙はご遠慮ください。
※劇場内で上記注意事項をお守り頂けない場合や、スタッフの指示に従って頂けない場合には、ご退場頂く場合もございます。皆様のご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。
※スペースの都合上、スタンド花・アレンジ花ともにお断りしております。ご理解・ご協力いただきますようお願い申し上げます。


●チケット販売窓口

http://www.confetti-web.com/detail.php?tid=38905&(カンフェティ)

※一般発売は先着とさせていただきます。
 全席自由席ですが、当日・開場時はチケット予約順による整理番号でのご入場となります。
※お支払いはクレジットカードかコンビニ(セブンイレブン)でお支払期間内にお済ませください。
※発券はコンビニ(セブンイレブン)でお引取期間内にお済ませください。
セブンイレブン支払の場合、予約有効期間(お支払期限)が過ぎますと、自動的にご予約は無効(キャンセル)となります。 改めてご予約をお取り直しください。

 

●Staff
スチール撮影:飯田奈海
当日運営:吉乃ルナ
企画/製作:末安陸一人芝居企画製作委員会


●お問い合わせ

MAIL◎yu_project@reticletkz.jp(末安陸一人芝居企画製作委員会)
TEL◎080-2041-8828(当日運営:ヨシノ)
WEB◎http://ich888yu.hateblo.jp/

 

 

-----キリトリ-----

皆様からのたくさんのご予約をお待ちしております。

赤星ユウ